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「イミテーションゲーム」偉業よりも大切なものとは

 

 Amazon primeでイミテーションゲームを観た。主人公役を務めたベネディクト・カンバーバッチは、MARVELシリーズのドクターストレンジ役をしていて、カッコいい役が印象に残っている。この作品ではまた違った役のイメージが見れた。

 

この映画は、第2次世界大戦中に使われていたドイツの無線暗号エニグマを、極秘組織として結成された人々で解読する物語だった。

 

暗号解読(上) (新潮文庫)

暗号解読(上) (新潮文庫)

 

 

エニグマの話は「暗号解読」という本を通して前から知っていた。ドイツの無線暗号生成機エニグマに対して、クロスワードパズルの名人と天才数学者を動員して暗号を解読するように政府は仕向ける。当時は、機械についてよく知られていなかったのもあり。エニグマの解読は不可能だと思われていた。色々な国で解読組織が作られたのだが一向に人間の手で解読することが出来なかった。はじめに解読機を作ろうとしたのはドイツのお隣のポーランドだった。そりゃ、隣の国がヤバいんだから何としてでも作らないといけない状態だったのだろう。

 その実験データを引き継いだのがイギリスだった。その成果を更に高めてチューリング率いるイギリスの解読班は、解読に成功することになった。この映画では、いきなりチューリングが解読機械を作ってる所だけが描写されている。本当はポーランドから譲り受けられた節が省かれていたりする。その部分はストーリーの根幹には影響しないので許容できる脚色であったと思う。

映画を観終わったあとの感想 

虚しさが残った。最後は完全なるハッピーエンドでは無かった。

「普通だとは思われてない人が偉業を成し遂げる」というテーマ

「普通だとは思われてない人が偉業を成し遂げる」とチューリングが語るシーンがある。そうして、確かにチューリングは偉業を成し遂げることが出来た。けれど、その後に政府から解読機が完成したことや研究していたことは、また戦争が起こるかもしれないからと、喋ってはいけないと口止めされている。そして長年作ってきた機械も没収されてしまう。

チューリングが偉業を成し遂げたことは誰にも知られないままに、チューリングは自殺をして亡くなってしまう。その理由は映画で語られることは無かったが、孤独と自分のやってきたことが認められなかった苦痛が原因だったのではないかと思う。

解読によって推定1300万人ほどの命を助けているし。偉業ではあったよなとは思う。チューリングが偉業を成し遂げつつ、更にチューリングが残りの人生を良く過ごす方法とか無かったのかな。

「生得的少数派に対する差別」「無知による差別」というテーマ

理解がないことは時に人を傷つける。それを罰するべきかは置いといて情報があれば理解できる。

チューリングが暗号を使って敵国に密告をしたと冤罪に問われたことがあった。仲間は、犯行用の暗号が簡単過ぎるという未熟さから、彼が犯人ではないと見破った。こういう風に人のことを知っていれば何か間違いが起きても、異なっていることを理解することが出来る。

またチューリングが同性愛者であったことへの、世間の理解が無かったのも原因があるように思えた。

当時にどうしたら良かったのかを考えると、どうしようも無かった面もあるんかなと思いつつ。現在ではその歴史から学べることがあるのだろうと思う。

映画を観る前の印象

ロバートダウニージュニアのアイアンマンのイメージで、学者がイケイケに暗号を解読する物語かと思ってたけど、全然違った。深い話にまとめられているように感じた。

自己PRを書くときのマインドについて

 

自己PRを書くときに、そこまで卑屈になる必要はないのではないかと思っている。就活カウンセラーと話していて、ネガティブな要素を詳細に語らんでよろしいと言われた。それから、本当に語らなくていいのか語る方がいいのか考えていた。

 

人は第一印象で、それ以降の付き合い方が定着すると言われている。第一印象で失敗したら尾を引きずるし。昔の価値観で嫌いだった人は、現在で価値観が変わっているにも関わらず、会った時に生理的に嫌いだったりする。この固定概念はなかなか消えないもので良くも悪くも働く。

固定概念は仲間内で出来上がるものだったり。新しい人間関係でイメージとして定着するものだ。この固定概念を上手く利用してやって理想の自分に近づきやすくしたらいいんではないかと思う。

 

面接の時に売っている自分は、本来の自分が目指している自分であればいいのかなと思う。

「読書会イベントに参加」想像を巡らせた

 
読書会のイベントに参加した。中小の出版社社長さん二人に書店に来てもらい。学生と対談するというイベントで、大学図書館の司書さんが連絡を取って成立したイベントだった。本に携わる人の生の声が聞けれたので、何かに活用できないかなと思った。
その何かが具体的に思いつかないから悶々としていた。取りあえずまとめてみることにする。
 
やったらいいなと思ったこと
  • 中小企業に対してのサービス、中小企業だからこそ活かせるスキルを使ってもらう機会を市場として提供する仕事
 
  • 本は所有するためにあるんでは無くて、使うためにあるという考えから派生して、使い方とかどんな時に読むといいのかをお膳立てしたり。それが分かりやすいようにする。
  • 現実逃避として読書がされるなら、「不思議の国のアリス」のように現実との向き合い方をストーリーを通じてイメージしやすいように作っていくとか。となるなら、本はむしろネタバレ上等で買ってもらって、シナリオの細部を楽しんでもらうとか。→そういう本屋として売る
  • 例えば、推理小説で同じトリックを扱ってるものをまとめてコーナーとして売ってしまい。書き調子を楽しんでもらったりとか。同じものの細部の差を楽しんでもらう

 

  • 「活字」を売る店をつくる
  • 実際には神社ですでに行われている。恋愛成就とか健康祈願とか、あれは文字を飾って売っているわけだけだ。漫画で言えば、好きなキャラクターの一部をグッズ化して物語をいつでも思い出せるのに似ている。それと同じ延長上に、「体験と文字を売る」ようなお店。ジャンクショップみたいに「活字」を売る店が有っても良いなと思った。和紙に文字を書いて飾ったりもする訳だけど、色々なものの中に文字を閉じ込めるのも有りだなと。Tシャツとかに小説の印象的な文を印字したりとかも面白いかなと。
「活字」はネットで読まれてて本は読む機会が減ってる。つまり文字を読むのは嫌いではない。別な方向で「活字」は売る商品になりうるんではないかと。
違うと思ったこと

本が生鮮食品であり。人によって紹介されて本が売れるという構造だと捉えていて、出版業界としては本を紹介する人を育てて発信してもらうのが大事だと言っていた。

  • 個人的には、育てるというよりは勝手に育つので、植物のように肥料や光源配置にあたるものを調整してもらえるだけで良いと思う。
  • という発想は植物の種類によって違うんだろうかな。
市場についての面白い意見
  • 20年前からは本の売り行きは落ち込んでいる。雑誌を買う人がいなくなったため。それより前は売り行きは良かった
  • 何が変わったかと言うと大衆文化から個別文化への移行
  • 売り方が変わる

個人の消費行動は文化によって決定されているのだなと。印刷業界は今のところは平均的な数値で売り上げを出しているけれど、突然の変化で急降下する場合もあるかもしれないと思った。

本を書いてみたいと思った

書くとしたら何になるんだろうか。ノウハウ本とかは書く気はないし。書くとしたらストーリーテリングに使えそうなショートショートストーリーか、小説になるかな。

現実逃避成分が何%かみたいな指標が小説ことに有っても良いかもな。

課題本の読書会してみたい

近所の県からやって来てくれた人が居た。その人の会では、決まった課題本を出して考察とか感想を言い合うようでした。

出版社の代表さんが印象に残っている言葉

ふたりの方が対照的な言葉を述べていた。といっても、これは結局は同じことを別の言葉で言い換えているようなものだ。

  • モノを大切にする、人に平等に接する

これは部分的に有っていると思う。作業効率で考えたときに、モノを粗雑に運ぶ場合もあるだろうし。人を大事にすると言ってもどのレベルで?という疑問が残る。自分のことをないがしろにせずに、かつ相手との距離を測るという目標は参考に値すると思う。

これは参加させてもらっている地域コミュニティ主催者さんの行動を思い出しても、意識してやっていると感じることがある。代表役として立場が上になるほど意識していくものだろうなと感じた。

  • わたしのことを嫌いな人はわたしに必要のない人だ
この意見に対しては丁度前に本を読んでいた時に考えていた内容だったので、既視感を感じた。この意見にも部分的に賛同したかな。個人のストーリーテリングへの扱いが基本になると思う。
仕事で多忙だったり目標を目指している時には、考えないようにしたり価値がないと見なすのも建設的かもしれないと思えた。
 

就活での会社の選び方

 

自分なりに会社の選び方をまとめてみた。まとめ足りていないし。この基準を厳密に使って就活する訳でもない。ただ、今のところの判断基準を言葉にしてみた。この記事を何年か経って見返して、当時の判断能力はこのくらいだったんだなと俯瞰して見返せたらいいかな。

企業の立地場所
  • 移動手段に車を使わない
  • 周辺が便利である

人生の大半を移動時間で閉めたくない。どうせなら寝るとか。遊ぶとか。学ぶとか。そういうのに時間を使いたい。損していると感じる。

会社の方針を知る
  • 裁量型
  • 請負型
ここら辺が分からない。裁量型の方が働く意欲は上がるのだけど、生産性が担保されないと自覚するなら上からの仕事を請け負ってやるのも堅実だと感じる。
  • 今後の会社の業績予想、将来性があるのか

入社して働く量にも関係するし。就職した数年後に倒産されても路頭に迷ってしまう。

労働環境
  1. 労働時間は平均していくらなのか
  2. 仕事をどのように効率化しているのか、勉強会
  3. 何人体制なのか
  4. 仕事に対する評価やフォロー

大事だと思う順番に並べてみた。

実際の話を聞く
ダニエルギルバート氏の「明日の幸せを科学する」からの引用: 未来予測は現在の環境影響をもろに受けるから、未来の自分が幸せか不幸せか自分では判断できない。ただし、実際に経験した人のリアルな話からの推測は結構当たる。*1
 
 実際に会社説明会で先輩社員の雰囲気を見たり聞いたりするのが、科学的にも最強なんかなーとは思う。 後は、転職サイトや就活サイトの口コミも使えそうではある。ただ、悪意を持って書かれている場合もあるので参考程度に抑えるようにしたい。
 
寝不足とか仕事疲れの顔は、実際に会ってると感じとれるし。嘘を付かれたと仮定しても、直感で感じ取ったことそのまま会社選択に扱っていけばいいと思う。被検対象者が72人と少ないのは気がかりだが、気休めにはなるだろう。
あと、相手が嘘を付いてると疑ってかかると逆に見破れなくなるので、常に信頼していていい。思い返したときに違和感を感じるかどうかかな。
会社に入った後のマインドの話について

若い頃に目標目指してバリバリ頑張ろうとすると、中年で疲れてダメ人間になる説が気になる。肩の力を抜きながらも成長できる企業がいいんかな。

 好奇心がある人は、その好奇心を大切にして進んでいって、そうでない人は習慣化して新しいことに触れ続けるのがいいのかなと。習慣化すると、情熱は無くなっちゃうんだけど生産性は向上すると。モチベを維持するためのコミュニティに属しておくのも大事みたいですね。
後は、ビックファイブで言う「誠実性:コツコツと何かをやり遂げる能力」を高めるために運動を取り入れるとかですかね。
他参考で、標本数がn=250で安定するという研究がある

*1:映画観てないけど、映画レビュー読んでたら見た気分になる現象に近いと思う。映画レビューの研究はfMRIで比較したやつがあった気がする。

「姑獲鳥の夏」夢から目覚めさせる陰陽師

表紙でイメージした内容とは違っていた

高校の頃から京極夏彦の本を読もうと思っていた。その時は、仙人とか妖怪とかが出てくるファンタジーを読み漁っていたのもあり。その先入観から、妖怪や祟りを原因にした非科学的なナンチャッテ推理小説だと思っていた。

実際は、覚醒状態の人間が催眠状態の人間を現実に誘導する物語であり。推理するためのヒントに民俗学や心理学、地域の伝承を取り扱っていた。非科学的な物語ではなかった。推理は科学だった。
文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)

文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)

 
 
作者が物語を通して何を伝えたかったのかを考えてみる。
京極堂が行ったような、ひとつの解決法を提案している
 この物語では、目が覚めていても夢を見てしまう人物を中心に取り扱っている。主人公の関口君も、鬱症状を持つ人物で物語中に何度か催眠状態になっている。
 
この本で取り扱っていた催眠状態とは「過去に愛していた女性が知人男性の死体を隠しているのを目撃した。つまり犯人は彼女だ。」という結論に行かないように、自分で自分に催眠をかけて記憶を改ざんするというものだった。
そこに、科学的な知識を持った幽霊も妖怪も信じていない陰陽師こと京極堂が現れる。催眠で生じる矛盾を突くことで催眠状態を解き、事件は解決する。
 
このように催眠のせいで現実が見えなくなり。自分が抱えている本当の問題が分からなくて困っている人に対して夢を解く方法としていかかでしょうか?という作者からの訴えに思えた。
物語を押し付ける高慢さ
前に書いたブログ内容をベースに考えていく。
 
彼ら彼女らが生きるための理由は、催眠状態で成立する「自分以外、無意識の自分によって作られた都合のいい物語」にあった。彼ら彼女らはその物語を信じている限り正常で居られた。そこに京極堂が現れて現実を叩きつけて物語を破壊してしまう。物語を失った人たちは狂気に陥ってしまう。
 
 京極堂自身は死傷者を出してしまったことを後悔している。このことから察するに、作者自身もこの行為が正しいとは思っておらず。やむを得ない策として描いているのかなと想像する。
そうすると、親は子供の人生を縛って破滅させないで欲しいというメッセージが見えてくるかな。
物語が無くなってしまうこと
 京極堂による虚構の物語を奪う行為が危険だと感じた。物語を奪うと同時に彼ら彼女らは依代を失うわけだ。別の依代へ移り変わるように促す目線が短絡していたと感じた。
もちろん手遅れだったという見方もあるし。他人から送られる依代を簡単に信じるのは難しいという見方もある。*1親から送られた依代の方が安心感や信頼があるかもしれない。
こういう場合に、「そっとしておく」という手段もなかったのだろうかと考える。あの事件は、時間が経てば死体が見つかって警察の手で解決するものだった。関口くんが介入したことで死傷者を出してしまったとも言える。物語を奪おうとしてなくても、時として介入するだけでも同じような意味を持つのかもしれない。
 
話は変わるけれど、天動説を唱えた科学者が、宗教信仰者によって見せ者にされて処刑された経緯にも関連している。事実は広まる価値があるのだけれど、どうやって安全に理解してもらうのかを議論する的になると思う。生きる依代である信仰を覆すのは更に難しいだろうな。それとも諦めて必要な犠牲だと黙認してしまうか。出来たら多くの人がスムーズに変換できるようなテクニックがあれば良いな。
 
まだ考えたいので追記するかも。

*1:その場合は、やはり親から継承されている物語に問題があるか。

ストーリーテリングと宗教に関する解釈

ストーリーテリングと宗教の違いについて考えた。違いを比較することで理解が深まるといいな。

現実と理想の折り合いを付ける物語

厳密な科学や事実で見せられる現実と、意識や心の中で作られる理想をわたし達は持っている。これらの折り合いを付けるために物語を作り。その物語によって現実に対する意味が見い出せて生活の満足度が上がる。

物語は生活している環境によって作り方が変わってくる。自分なりに物語を作るほど知恵が必要になるし。他の人の影響を受けるようになると妥協が必要になる。物語を作るうえで参考にはなるので必ずしも他の人の影響が悪いわけではない。自分で選び取る目線が必要だろう。

自分:ストーリーテリング、自分で作った人生哲学
自分で物語を作成することをストーリテリングと言ったり。物語のことを人生哲学として名づけることがある。
過去と現在の自分を比較する。自分で意図的に操作が可能であり。無理のない目標を設定できる。知恵がいる。過去の自分の気持ちや行動に一貫性を見つけていく。
一緒に:絆、友情、愛情
一緒に物語を作成することを友情と言ったり、愛情と言ったりする。
各個人が自己開示を行った上で、その特性同士を無理がないように噛み合わせる。組み合わせる知恵と、ある程度の妥協がいる。相手に共感する点を見つけたり、自分に共感してもらうように振る舞う。
共感してもらう際にストーリーテリングを行うと分かりやすい。また、ストーリーテリングを引き出すように質問を加えるのもいい。
自分以外:宗教、自己啓発、他者が作った人生哲学、占い、プロパガンダ
自分以外によって物語が語られるのを宗教と言ったり、自己啓発と言ったりする。
特定の個人を考慮せずに取り扱っており。作成権は他人にあるが一緒に作成する場合もある。妥協がいる。対象に共感するのが目標となる。占い師に積極的に自己開示をすることで結果的に一緒に作っている場合も考えられる。ただし、その関係性は情によってではなくビジネスライクの可能性がある。自分以外の利害影響に注意して取り扱いたい。
 
会社や学校、家族というコミュニティの文化は作成に関わった度合いで変わる。校風とか企業文化がそれに類する。人付き合いの分類も場合によって変化するかと。

自分なりの選択をお勧めする

なるべく個人にあった物語を未来を見据えて作成した方がいいと思う。作成する能力があれば挫折しても次に生かせる。より現実的な方針を組み込んだ物語を作るためにも、歪みのない事実や人間の特性(バイアス)を知ることが大切になると思う。
 
また、自分以外によって作られた考えはアイデアとして参考にしたらいい。例えば、ニーチェの考え方を流用して自分なりにアレンジしてみるとかね。日本だったら詩や俳句の文化も使っていけばいいかもしれない。参考として、自分の生き方に共通する人の意見を取り入れてみたり。自分の欠点を同じように持っている人の意見を聞いてみるとかね。
 
コミュニティであれば、みんなで一緒に作ることを意図的にやっていく必要があり。時間と共に人は変わるので自己開示も定期的に必要となるだろう。
ところで、今までは「一緒に」やってきていたのに「自分以外」での作成に移ってしまう時に問題が起きると思う。例えば、他人と目標が大きく違うとき他人の目標願望が重荷になってしまう。こうなると「一緒に」コミュニティを作っていく目線が消えてしまう。どういう一致があるのか定義し直すと修復できるかと。
 
相手を批判的に捉えるのではなく、判断を保留する手もいいかなと思ったりもする。諦めるというよりはアイデアを探すために時間をかける形かな。沈黙を楽しもう。

「白夜行」隠れたテーマを探してみた

 
東野圭吾が原作の映画やドラマは観たことがある。けれど、小説を最後まで読んだことは無かった。ドラマや映画で観ている限り、彼の作るシナリオは面白そうだったので読んでみた。
白夜行 (集英社文庫)

白夜行 (集英社文庫)

 
読んだ直後の感想
ふたりが、特に雪穂が人間だと思えなかった。そんな感想を抱いた。
ふたりが何を目標にして、何に取り組んで生きているのか。分からなかったな。お金なのだろうか。富と名誉と権威だろうか。結局は最後に雪穂が手にはしている。
けれど、その後に何を求めているんだろう。彼の生きがいは何で、彼女の生きがいは何なのだ。
 
扱っている内容はドロドロしている。ただ、切り取っている描写が綺麗な面ばかりで、真相は見えない。じれったい。
映画化やドラマ化では、時間の関係で裏描写もされていると聞いた。小説では描写がないので好奇心と不安を掻き立ててくれる。それぞれ別の面白さがあると思う。
 
読了した直後は何も感じなかった。そっか。そうだったんか。恐いな。という具合で、あっけなかったかな。
特殊な表現方法
この物語が面白いのは視野を限定して描写することにあると思う。表シナリオの描写だけでも良かった。罪を重ねて罪を消すふたりの男女の物語だ。
けれど、この本での主役であるふたりは周囲の人物の目を通してしか分からない。本人の心情描写が地の文で出ることもない。敢えて本人以外の解釈を重ねることで人物像を幻想的なものにしている。
 
野暮な疑問点について
  • 寺崎は本当に運転中の事故死だったのか。仕組まれたことなのか。
  • 雪穂の母は自殺だったのか。偶然なのか。
  • 叔母の庭に死体が埋められているけど、どうやって?気づかれないのか?臭いは?
  • ふたりの連絡手段は何だったんだろう。図書館とか?大人になっても同じ場所ではなかろう。

ここら辺を知らなくても、作品が醸し出す雰囲気を味わうには十分だったし。考え込まなくてもいいかも。

 

物語の見方を変える疑問について
  • 幼い頃は分かるけれど、桐原は雪穂のために動き過ぎていないか。雪穂は手を染めずに桐原が人を何度も殺している。恋心があったのか。
  • 桐原は自殺しているけれど何故なのか
  • 雪穂は桐原の死をどのように見ているのか。安心しているのか。それとも嘆いているのか。目の前で死ぬのを目撃して動揺しないのは?
見方によっては、桐原が雪穂の特性に惹かれてしまった被害者にも見える。自分に惚れた桐原を晩年は利用し続けていたという説だ。
 
続編だと言われている「幻夜」では、同じように登場人物がふたり出てくるんだけど、それでも同じように美冬という女性が男性側を手のひらで転がしている形のようだ。
 
つまり、最後に桐原が自殺してしまうことが雪穂の恐さを引き立たせた物語となる。
 
雪穂の生きがいを想像するなら、貧しかった境遇が起こした悲劇に対するお金への執着。そして、自分が陥った悲劇を理由にした娯楽だろうか。雪穂がやろうとしているのは、お金や立場を利用した人狩りのように思えた。後半での、血の繋がらない娘に対する犯罪を利用したマウントが優越感に浸るために思えた。
 
隠れた命題「美貌と優越感」
この雪穂の優越感こそが、この物語の本軸だと解釈した。そのために周囲は犠牲になっていく。そして、雪穂は人を惑わすような魔性の女へと変化していく。美貌と優越感が隠れた命題かな。
 
雪穂の透き通った目と亮司の黒く濁った目の対比で、両者の精神的な強さと弱さを表している。そして、時間が経って捕食されたという形かな。読み手には、桐原と雪穂の相思相愛と解釈させておく。本当は、、、と。
 
この解釈を書いてて恐くなった。解釈を進めることで物語の深みを更に引き出せるのは珍しいかもしれない。作品として面白かった。