ストーリーテリングと宗教に関する解釈

 
姑獲鳥の夏」の序文で、作者が登場人物の口を借りて宗教と心理学について語っていた。そこで、ストーリーテリングと宗教の違いについて考えた。
違いを比較することで理解が深まるのではないかと思ったので、このテーマについて自分なりに考えてまとめてみることにした。
文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)

文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)

 

現実と理想の折り合いを付ける物語

厳密な科学や事実で見せられる現実と、意識や心の中で作られる理想をわたし達は持っている。これらの折り合いを付けるために物語を作り。その物語によって現実に対する意味が見い出せて生活の満足度が上がる。

物語は生活している環境によって作り方が変わってくる。自分なりに物語を作るほど知恵が必要になるし。他の人の影響を受けるようになると妥協が必要になる。物語を作るうえで参考にはなるので必ずしも他の人の影響が悪いわけではない。自分で選び取る目線が必要だろう。

自分:ストーリーテリング、自分で作った人生哲学
自分で物語を作成することをストーリテリングと言ったり。物語のことを人生哲学として名づけることがある。
過去と現在の自分を比較する。自分で意図的に操作が可能であり。無理のない目標を設定できる。知恵がいる。過去の自分の気持ちや行動に一貫性を見つけていく。
一緒に:絆、友情、愛情
一緒に物語を作成することを友情と言ったり、愛情と言ったりする。
各個人が自己開示を行った上で、その特性同士を無理がないように噛み合わせる。組み合わせる知恵と、ある程度の妥協がいる。相手に共感する点を見つけたり、自分に共感してもらうように振る舞う。
共感してもらう際にストーリーテリングを行うと分かりやすい。また、ストーリーテリングを引き出すように質問を加えるのもいい。
自分以外:宗教、自己啓発、他者が作った人生哲学、占い
自分以外によって物語が語られるのを宗教と言ったり、自己啓発と言ったりする。
特定の個人を考慮せずに取り扱っており。作成権は他人にあるが一緒に作成する場合もある。妥協がいる。対象に共感するのが目標となる。占い師に積極的に自己開示をすることで結果的に一緒に作っている場合も考えられる。ただし、その関係性は情によってではなくビジネスライクの可能性がある。自分以外の利害影響に注意して取り扱いたい。
 
会社や学校、家族というコミュニティの文化は作成に関わった度合いで変わる。校風とか企業文化がそれに類する。人付き合いの分類も場合によって変化するかと。

自分なりの選択をお勧めする

なるべく個人にあった物語を未来を見据えて作成した方がいいと思う。作成する能力があれば挫折しても次に生かせる。より現実的な方針を組み込んだ物語を作るためにも、歪みのない事実や人間の特性(バイアス)を知ることが大切になると思う。
 
また、自分以外によって作られた考えはアイデアとして参考にしたらいい。例えば、ニーチェの考え方を流用して自分なりにアレンジしてみるとかね。日本だったら詩や俳句の文化も使っていけばいいかもね。参考として、自分の生き方に共通する人の意見を取り入れてみたり。自分の欠点を同じように持っている人の意見を聞いてみるとかね。
 
コミュニティであれば、みんなで一緒に作ることを意図的にやっていく必要があり。時間と共に人は変わるので自己開示も定期的に必要となるだろう。
ところで、今までは「一緒に」やってきていたのに「自分以外」での作成に移ってしまう時に問題が起きると思う。例えば、他人と目標が大きく違うとき他人の目標願望が重荷になってしまう。こうなると「一緒に」コミュニティを作っていく目線が消えてしまう。どういう一致があるのか定義し直すと修復できるかと。
 
ここにコンビニ人間の「そっとしておく」を入れる。相手を批判的に捉えるのではなく判断を保留するというのに近いと見た。この本はまだ読んでいない。視野を広げるために読んでみたい。
 
 
ビッグファイブの性格診断は、そのまま使うんではなくて現実を解釈するためのヒントとして使うのが良いかと。占いより信頼度は高いけれど、現実として確定させるには厳密度が薄いかな。