「グラスホッパー」生きる意味について考える
生きる理由が見つからないふたりの殺し屋と、冴えない復讐者が主人公の物語だった。「罪と罰」の引用が出て来たりと、作者の死生観を小説を使って伝えているようにも思えた。
小説には珍しく引用文献があった。「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」という、ジャーナリスト森達也さんの本題名を載せてある。彼の映画「ドキュメンタリーは嘘をつく」で、作品を観た後に何を感じたのかと、それを作っている背景を想像するのが大事だと語られていたのを思い出す。
それ込みで楽しんでほしかったのかなと作者の考えを推測してみる。
- 作者: 伊坂幸太郎
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2007/06/23
- メディア: 文庫
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題名になっているグラスホッパーについて
グラスホッパー……バッタか。「人間は昆虫のようなものだよ。」と言われてもピンと来ない。法学部出身の独特な想像力のなせるわざというやつか。それか自然淘汰とゲーム理論の話でも読んだのかな。
人間は哺乳類であるし。脳が発達しているし。それ故に協力的な文化が発達している。未来や何もないものを想像できるのが人間の良い所だろう。
この文章は単に、「タカ派とハト派」の話をしているに過ぎないのかもしれない。利他的な方針が8‐9割で、利己的な方針が1‐2割と言うやつかな。人間全体で利己的な人間が1割いる、個人が集団間で行う利己動作が1割あると想像するやつ。
自然淘汰の話に持って行けば、確かにバッタまで解釈を持って行けそうか。利己が多ければグループは全滅する。利己動作を行う細胞を増やして結果的に主を殺してしまう癌細胞もそれと同じだ。
この物語は何を伝えたかったのか
- 自然淘汰のいたずら→平凡な人は救われてくれ、そうでない人は盛者必衰で
冴えない元塾講師の男を中心に物語を観た時は、自然淘汰のいたずらでも良いから平凡な人は救われて生を実感してほしい。元からどうしようもない人は盛者必衰で、同じように自然淘汰してくれ。」という意見文。
- 死生観「罪と罰」の引用→平凡でない人も"あっち"で救われてくれ
他の殺し屋を中心に観たときは、贖罪を請う生き方をしてくれという願いかな。
「罪と罰」は一昨年に読んでいたので、何を言いたいのかを想像することはできた。あの本は宗教色が出ている本で、罪悪感との対面と無慈悲さが詰まった本だった。老婆を殺してしまった主人公が罪悪感と戦いながら、無情な環境で生活をしている少女の健気な姿を見て、落胆と後悔を胸に自首する話だ。殺し屋の鯨が愛読をしていたのも、共感して罪悪感を理解をしたかったからではないかと思っている。
「罪と罰」のラストは別の見方をすると、ラスコーリニコフがラズミーヒンを助けようとしているのに無視して進んでいってしまった結果とも見える。この物語でも、助かったはずなのに周囲に求めなかったIFシナリオが残ってたりするんかな。
個人的には
盛者必衰を待つ。無理に助けることを拒む。自分が助けれる範囲で生活をするのが良いのかなと思った。
バイキングでドカ食いする人のメンタルと生活が心配になるのは分かる。けれど、ミイラ取りがミイラになったんでは意味がないですぜ。それとも、自分はならないと思っているからこそミイラになるのかな。
人生の意味について
ある一定の人間は、恐怖を感じる部位である偏桃体が動きにくい。遺伝する性質でもある。優秀な兵士はそのおかげで優位に射撃を行うことが出来るとも言われている。最近では、電磁気ヘルメットを被ることで同じ脳状態に出来る機械があったりする。
ところで。こういう不安や幸福を感じにくい人は、人生の意味を見いだせない場合も有るらしい。参考:今週の小ネタ:知能と幸福、サイコパスとナルシストと人生の意味、ヤバい恋愛を切れない人 | パレオな男
けれど、前に読んだ「共感脳」の本には続きがあって、彼ら彼女らは共感することも出来るのだと言う。そこに賭けた小説なのかもね。
「十角館の殺人」犯人の強靭なメンタルと体力
前回に続いて2回目の推理小説を読んでみた。
時代背景が古いので考慮して読んでいった
改訂版を出すにあたって最後に説明がなされてたように、バブル期に書かれた作品でしたね。
「女性はお茶を入れる」とか。登場人物の学生ほぼ全員が煙草を吸ってるとか。サークル飲み会で急性アルコール中毒で死人が出るとか。インターネットが存在していないとか。タイプライターが流行りだとか。価値観が前にさかのぼります。DNA検査と言っても制度が低いのだろうなと考えたりもしたかな。
冒頭でギャップを感じる文章が散りばめられているので、現在とは異なる世界観に入っていく感じで読んだかな。ここで諦める可能性もあったけれど、推理ジャンルマイブームに乗って読み進めていった。
ミスリードを誘う文章に引っ張られた「叙述トリック」
紅さんが怪しいのかなと疑ってみたり。青司がまだ生きていて犯人なのかなと疑ってみたり。それとも学生の中に犯人が紛れているのかなと思ってみたり。会話の文章や描写の移り変わりによって、誰が犯人なのかをミスリードしやすいように誘導させる文章は面白かったです。
第1被害者であるオルツィが指輪をはめていたことを思い出せなかったのが悔しい。オルツィが亡くなった青司の娘と仲が良かった事は、はじめにオルツィが被害者になった理由と関係しているとは疑っていた。そうなると、学生の事情を知っている中に犯人がいることになるとは推理できていた。
実際に起きたことから自分なりに絞っていくのが、「叙述トリック」にハマらないための工夫なのかな。登場人物の誰一人として正しい推理を行っていなかったのだし。
犯人を当てるのは難しい
序盤でも圧倒的に怪しい人物がいた。なぜか病気なのに館に来ているし。館を借りた主だし。かつ旅行のキッカケを作っている。そして泊まった数日後に、人が殺されるような状況だとメンタルが揺れて病状が悪化してもおかしくないが元気になった。
どう考えても怪しいんだけど特に証拠が無かったからな。動機についても、犯人だと分かった後に初めて追加された情報だった。推理して犯人を当てる楽しみ方をする作品では無かったんだろうな。
犯人の強靭なメンタルと体力
犯人が地の文を用いて犯行について語るシーンがあるのだが、結構ハードなことをしている。細身の身体で、脱水症状に見舞われる中で、ろくに睡眠時間を取ってない中で、重労働して、音を立てずに部屋に忍び込みまくって、よくも疑われずに全員殺せたなと感嘆する。さすがに無理があるくない?と思ってしまった。アリバイ工作であるバイクの運転中に、疲れで意識を失って事故って死んでもおかしくないと思えた。
殺し方を考えるのも結構に行き当たりばったり感も有ったし。うーーん。幸運が重なって犯行が成立したと言うのも強かったように思えた。
幸運と言えば、ラストの海辺に流れ着いた瓶も"運"と言えるのかもな。その点で考えれば、復讐殺しの焦燥感を伝えたかった作品としては一貫性があって楽しめる本と言えるかな。やってることはハードだけどな。
「マスカレードホテル(映画)」いい意味で、狐に化かされて得した気分だった
今まで、推理ジャンルを好んで観ることは無かったのだけど、
前回に観た推理映画に感動して推理ものへの敷居が低くなった。
更に、刑事ジャンルをほとんど観ない中でも、唯一最後まで観ていた「新参者」のドラマは「マスカレードホテル」を書いた東野圭吾の作品だったので観るのに抵抗が薄かった。
感謝と生きがいをテーマにした作品だった
内容は「新参者」と似て、捜査を進める中で気づく人間ドラマの模様を楽しむのがメインだった。はじめは誰が犯人か捜そうと、映画内で語られる情報を覚えながら疑って観ていた。途中から、捜査の中での新しい目線の発見とか、心情への気づきを映画で楽しんでもらいたいのだと分かってリッラクスして観ることが出来た。
癖のおかげで分かることがある
客室の机上にある、メモ用紙に乗っている文鎮の配置を整えるシーンがやたらと付箋として画面に出てきた。その回収が最後に現れるという形は分かりやすかった。「新参者」シリーズでも、人が日常的に癖で行ってしまう描写でのトリックがあった。人間が癖で行ってしまうものは、見過ごしてしまいがちだけど確かに存在している影響力なんだと感じる。
一度、確認したものは大丈夫だと思ってしまう
犯人があの人に繋がると気づけなかったなー。確かに付箋はさらりとしていたし。予想することが出来たんだけども。少し悔しかったな。映画の途中からは疲れて集中力が切れてたし。忘れても無理はないかな。ほのぼの短編ストーリーが映画中に何度も入ってきて、思考が平和ボケしていたのも有りそう。
今後に推理ジャンルを読むとして
推理することがメインでなくても楽しいと思えた。隠し味に推理を入れて見ました~。という作品が好きかもしれない。刑事ジャンルでは、刑事が淡白な方がかえって感情移入しやすいと気づけたかな。どうしても燃える警察官はくどくて仕方がない。いや、でもたまに見える愚かさを愛おしく思えば面白いかもしれないか。
就活で考えたことをまとめていく
大ざっぱなことは下の記事で書いたことを中心にやっていけばいいのかなと思っている。自分で書いた記事のことを忘れてたりするので、たまに見返してマインドを取り戻す作業が必要だなと感じる。
前より変わった点を書いていこう。
会社に求める要素としての優先順位をきめる
どうしても人間と言うのは欲張りなもので、あれも欲しいこれも欲しいとなりがちなので、優先順位を決めて「これだけは!!」というのをまとめておこう。選択をした後に沸きがちな後悔への理由づけも出来るし。その時の適切な判断が下せると考えている。
- 新しいことに着手できる=会社外から見ても相対的に能力が付く
- 安定した業績の会社である=派遣ではない
- 仕事が多すぎない
- プログラムが書ける
この順番に大事だなと感じた。働き過ぎても嫌だなと感じている。仕事が終わってからの余暇を存分に楽しみたいので、確保が出来るようにしたいと考えている。逆に給料面は重視していないかな。
給料について考えること
将来を考えると給料が多かった方が良いと考えるだろう。ただ、仕事が多くて給料が多くてもそこまで嬉しくないかな。仕事の量をまずは評価軸で考えるとして、次に最低で貯めておきたい貰っておきたい金額を想定した方が良いのかな。
「老後」の心配は常に付きまとってくるか。資産運用が上手く行かなかった、最悪の場合も想定した方が良いよな。老後に働かずに20年ほど生活することを考えると、「1年あたり24000円*12ヶ月*20年=3000万~5000万円」を働いている内に貯めていくんかな。
資産運用は分散投資をして、なるべくリスクを分散させていくようにしようか。
今のところはするつもりはない「結婚」とか「誰かを養うこと」を考える。実際にするとしたら、自分の生活を犠牲にしない方法がある場合に限るかな。家族のために身を削って働きました!とかは柄ではない。その時は、転職する選択肢が濃厚になるかな。無いなら無理かな。趣味でボードゲーム作ってアプリ化したいと考えているけど上手く行くとは限らないし。
合同説明会に行った感想としては大手に行くのが良いんかなーと思いつつある
大手でも社員を減らしたり給料カットしたり。と、変化が起こっている。その点を踏まえて企業を選んでいけたらいいな。
- 仕事内容が会社外から見ても相対的に能力が付くか
- 最近の業績とかニュース動向で判断して業績は良いのか
- 実際に働いている人に労働量への感想を聞く
ここら辺をベースに聞いて行こう。実際に働いている人から話を聞く。会社へのインターンシップとか座談会が大事だと思えたかな。
みんなの料理には砂糖をどのくらい入れる?
前回に続いて、本書で面白かった内容を自分なりの例に置き換えて説明してみる。
真ん中を選ぶのが良いよね
手作りケーキをみんなで一緒に食べる。ケーキに砂糖をどのくらい入れるかを8人で議論している。
- 砂糖をたくさん入れたい、3人
- 砂糖をそれなりに入れたい、2人
- 砂糖を極力入れたくない、3人
砂糖をたくさん入れると、極力入れたくない人が嫌だし。入れないと、たくさん入れたい人が嫌になる。そこで、真ん中の「砂糖をそれなりに入れる」に落ち着くのが妥当だよね。
こういう選択方法を、中位投票者定理と言う。これが多数決に変わる良い選択方法になる。
この選択方法には、投票する対象に、ある性質がなくてはならない。
単峰性という性質
「砂糖をたくさん入れたい」人からすると、「砂糖をそれなりに入れる」は2番目、「砂糖を入れない」のは3番目の候補になる。このように、ひとつの選択肢が決まっていれば2番目や3番目の候補が自動的に決まる。「砂糖を入れない」人からしたら逆に、砂糖をなるべく入れないように順位付けをする。このような性質を単峰性と言う。
この単峰性を満たすときは、この選択方法を使うのが優秀なのだ。
そして、これからの説明が面白い。
単峰性があるかどうかは、話し合いによって新しく発見される事がある
アイデアで乗り切ろうとする姿勢が好きだ!
ある選択肢を提示されている。議論をしていない時は、選択肢同士の関係性は曖昧なままだ。しかし、議論をすることで選択肢のメリットやデメリットが浮き彫りになり。選択肢同士に一貫した関係性を見出す事が出来れば、単峰性を持つことが出来る。
どこに行くかではなく、何を食べるか
例えば、ご飯をどこで食べに行くか話し合いをする。候補として、「惣菜屋さん、ファミリーレストラン、うどん屋」が出て来たとしよう。
選択者はいきなりお店を多数決で決めることも出来るし。
更に、「何を食べたいか」を話し合って別の基準を用いて決めることができる。すべての選択者が食べたいか、もしくは食べてもいいと妥協できるメニューがあるお店を選ぶ事で全員が嫌な選択肢を避ける事が出来る場合も存在する。こうして「うどんを食べたくない人がいるから、別のお店を選ぼうか。」という選択も出来るようになる。
選択肢の関係性を話し合おう
話し合いによって、選択肢の中に関係性を見出すことで最良の選択方法が増えるのは面白い。
他者のだいたいの嗜好が分かれば、この単峰性を活用して相手の考えを推理するのに役立つだろうし。交渉したり。妥協点を見つける際にはいい方法になる。
人間関係のやりくりが上手な人は、当たり前のように使ってるテクニックかもしれないね。
多数決するより、各自で得点を割り振る方が総合意見として優秀じゃない?
追加して言うと、ポイントを付けるときに制限を付けると1票の重さが平均化されて尚良い。
この本は、経済学の教授が「多数決ってよく使われてるけど、別に1番優秀な選び方ではないよね」というのを反例を元に説明をしている。
読む前は、題名から推測して社会学要素が強い意見文かと思った。よくよく読んでみると数学的な考え方が元になっていて意外性が面白かった。
多数決は投票者の意見は本当に含まれているのだろうか?
選択肢が5つの例だと、上から順番に「1位には5点、2位には4点……」と、それぞれの選択者に得点を割り振ってもらう。その結果を集めて総合得点が高かったモノが1位に輝くという投票方法だ。この投票方法はボルダルールと呼ばれている。
このボルダルールが優れているのは、「票の割れ」に強いことが挙げられる。問題は似たような候補が複数出てきた時に起こる。多数決での例を挙げてみる。
カレーとシチュー
例えば、好きな食べ物を選ぶときに「カレーとシチュー」から選ぶとしよう。そのときの票結果が「カレーが6票、シチューが5票」で終わった。
これでカレーが1番好まれる食べ物だと分かった。
牛肉カレーとシーフードカレーとシチュー
今度は、選択肢のカレーを牛肉とシーフードと分けて考えてみよう。
そのときの票結果は「牛肉カレーが3票、シーフードカレーが3票、シチューが5票」となった。これによってシチューが1番好まれる食べ物として認識されるようになる。
どちらかのカレーが選択されるべきでは?
これが「票の割れ」問題と言われる。ニーズに合った選択肢が増えることで、全く逆の選択肢が優位になってしまう。これを無くしたい。
ここでボルダルールを採用すると、どちらかのカレーが選ばれるようになる。多数決では1番目の候補以外は同律で0点と換算されるのと変わらない。ボルダルールでは2番目に良い選択肢も考慮に入れることで「票の割れ」を防ぐ事が出来る。