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過去の自分と比べて何が変わったのか

 
大学生活について、ストーリーテリングをする。
 
外向的にならなくてはいけないと焦っていた
自分は取り柄が無い内気な人間だと思っていた。そのため、外交的なキャラクターになろうと思って自分を売ろうと考えた。けれど、本来の自分との性格ギャップが酷すぎて、外向的な人を真似ようとするたびに心理的なダメージが蓄積していたのを思い出す。そして、帰るたびに後悔に駆られた。
 
外交的な行動をする理由が「新しい自分を見つける」だった。けれど、そもそも新しい自分なんて居ないことに気づいた。自分の得意な面と、不得意な面が存在しているだけなのだった。自分は不得意な面ばかりを見せるように行動して居るのだと感じるようになった。目標がない場所にただいるのが辛かった。優しくしてくれる人も居たけれど、それ以上に自分が惨めに感じた。周りには、自分が好きなことを通して成長している人が居るのだから肩身が狭かった。
 
先輩が営業職について喜んでいる姿を見て絶望したのを覚えている。私の考えていることが分からないなりにも、良くしてくれた先輩だった。やっていた事を真似れば何か見えると思ってやってみたけれど、やればやるほど惨めになった。
 
その後悔を活かすために、自分は内向的な特性を前提に生きていこうと決意した。前まで頑張っていたキャラクターを放棄して、マイペースに過ごすようになった。最初の方は、不安でメンタルが揺れたのだけれど、今の方がましだと言い切れる。自分が好きな課題を見つけてきて、解いていくのが好きなのだ。小学生の頃からひとりで作業を進めるのが好きだった。観察したり絵を描いたり本を読んだり。屋内の作業を進めていくのが落ち着いて入られる時間だった。
 
作品を作って褒められると嬉しかったのも思いだす。そうして、少し人とも話そうかなと思うようになった。 外交的には慣れないけれど、好きなものを語る時には慣れてくるのだと分かる。外交的な態度を目標にするのではなく。自分が楽しみつつ話を広げれるようなコツを掴もうとするのがいいのだと気づけた。
信頼できる情報が欲しかった
デマに流されることが高校の頃に多々あった。20代と言うのは脳が未発達で、まだ衝動的な部分があったとは言え。自分にはリテラシーが無かったのだと恥じていた。大学の2年時に、根拠の薄いニュースを信じていると言われてショックだったのを覚えている。それがコンプレックスだったからだ。
 
その1年と少し経った時に、ネットの記事だけではなくて、本を読んだり、参考文献が体裁されているのかを気にするようになった。それからは、前よりも不安が減ってはいる。
 
「新しい情報を知らないといけない。」という強迫観念ではなく。正しい事実を知っていて色々な角度からニュースを観れるリテラシーを鍛えれている感がわたしには重要だった。つまり、今の知識を疑って、然るべき方法で更新していく習慣が欲しかった。
 
最近では、証拠が示されているものを試してみるのが楽しかったりする。前とは違った楽しみ方をしている。
肩の力を抜いていくのは大事だとは思う 
 基本的にはこの二つかな。就活カウンセラーに言わせると就活でわざわざいう内容では無いと言われたので、これを公には使わないけれど。これから生活をするときの原動力にはなっていくと思う。
こういうストーリーで進めているわけだけど、燃え尽き症候群にならないように適切な息抜きも必要だとは思う。
 
人によって、大事なものや苦手なものは変わってくると思う。人と比較して、他者になろうとするんではなく。自分を振り返って、その延長で出来ることを探していきたい。
もちろん、その中に参考にしたい人がいるなら比較する場合もあるかもしれない。ただ、ベースは自分にあることを忘れずにいきたい。