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信仰は発展の依代なのだ「ホモデウス」

 

作者は、「サピエンス全史」で有名な歴史学者のユヴァルさん。専門家が、違う専門分野について語る時にありがちな偏見がないと良いなーと思いながら読みました。歴史学者の目線から見る、今後のテクノロジーと人間の未来を語っています。

内容は思ってたよりも、作者の専門分野での考察で進められていたし。違う専門分野の話も、実例を用いて話していたので読みやすい文章でした。

ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来

 

信仰が先か行動が先か

この本は歴史の流れを通じて、人が何を信じていたのかを順に巡っていきます。そして、現在の信仰になりつつある「データ主義」信仰の話で締めくくります。読んでいく中で、信仰とはその時々の生活基準で罪悪感や不安を減らすため、効率を向上させるための依代なのだなと気づけます。

狩りをして生計を立てていた時代

動物信仰:狩りのために動物の行動を推測する。気持ちを想像する。
自然信仰:自然の摂理に怯えながら、時に感謝しながら生きていた。

食料の取り方や自然災害による生死について考える。常に頭の中を回っているものが信仰対象になっているんだろうなと思った。ウサギやシカが居ないか探したり、動物を常に追うような生き方をしてたら夢にも出てくるだろうし。そうした中で見出した信仰のように感じた。

このルールに取っとるなら、趣味のことばっかり考えている人は趣味信仰者を名乗っても良いかもしれないし。ハードワーカーは仕事を崇拝しているし、、と、頭の中で繰り返される意識が信仰なんじゃないかと思えてくる。

農業の時代

限定的な動物信仰:動物は家畜化する対象となる
自然信仰が変容する:自然は加工する対象となる

キリスト教は動物を人間と同一視する見方をしていない。つまり、家畜化することへの罪悪感などへは言及がされていない。ヒンドゥー教は、牛の乳を搾るのは許されている。それって人間の都合のいいように信仰が変化してる証じゃない?という解釈は面白かった。

この農業の時代になってくると、人間同士でのトラブルに重点を置いた信仰が出てくる。「自然と人」という構図から「人と人」に変わっているのが分かる。

工業化した時代

人間至上主義:人間の欲望を達成する

  • 経済主義、民主主義:経済が繁栄したらいい
  • 優生学:生物的に優位なものだけが生き残れば良い

民主主義が発展した理由は、分散型のデータ処理だったからであり、共産主義が廃れたのは集中型のデータ処理では間違いへのダメージが大きいからだと説明した。

ここら辺に関しては、もし大企業が便利なアルゴリズムを作って一括で人を管理することを考えると、当時は出来なかったけど、今後はテクノロジーの発展で出来そうな気もするんだよな。。。

情報化の時代

テクノロジー至上主義:テクノロジーで人間の身体をアップグレードしたい
データ主義: データによって人間の行動をすべて管理したい

 作者は、ここで出来た格差は埋められないかもしれないと不安を煽ってくる。しかし、そこまで脅威があるようにも思えないんだよな。もちろん、遺伝子を操作するのは恐いけれど、データ主義に関しては生活が豊かになっていく一方な気がする。

データ信仰と語っていたけど、もう一歩踏み込んだデータに基づいた個々の物語信仰になる気がする。

データ単体では機能せず、それを解釈するための仮説がいるし、過去が分かったからといって全ての細かい未来が分かる訳じゃないからだ。個人が物語を作りやすくする方向にデータを集めて、日常での物語を作るようにプロデュースするツールがあって成立してきそうだと思った

最後に疑問を

この作者が言いたかったのは

  • 「データ主義」信仰の先に待っている未来は、得るものと同時に失うものが有るかもしれない。君たちは何を望むのかい?

という一文でした。

別にテクノロジーの発展した未来には興味があるし。むしろ楽しみである方が強い。人間が幸福になるアルゴリズムや、健康になるアルゴリズムが増えたら興味心身だ。

その先には、アルゴリズムが人間を用済みとして抹消するかもしれないよ?という漠然とした疑問符をユヴァルさんは投げてくる。そこは気にし過ぎではないかなと思うよ。もちろん気をつける必要や今後について考える必要はあるだろう。でもテクノロジーは使い方次第じゃないかな。

 

人間の信仰と、時代の需要を考えたときに、マッチしていたのだなと気づかされた。面白い視点が貰えたので良い本だった。