ブログタイトルを変えるか悩む「意識の根っこを伸ばす」

 

就活をしていて、プログラムを使って技術者として成長する未来を考えていた。

 

成長するためにはマインドが必要だと思う。それは環境要因と習慣行動から醸成される。環境はこれからも選択するとして、自分の習慣を最適化する際にどうすれば良いのか考えてみる。

 

技術系のブログを作ろう

 

より効率的により楽しく学ぶためには、今まで読書前後で考察をしていたように、IT技術に対しての感想や考察、想像をブログにまとめるのが良いと思っている。そうすれば調べた足跡が自分の好奇心証明として自信に繋がると思う。

 

技術者として成長する際に挫折するのは、興味を無くしてしまうからか、周囲のレベルが自分と比較して高過ぎる場合に起こると思う。

 

やはり、コツコツと成長していく方が重要だから比較する瞬間はあっても良いけれど、比較する対処は昔の自分であるのがモチベーション維持には大切だ。だからこそ、技術系のブログを自分なりのレベルで書いていくのが後々の自分にとっても有益だと思う。

 

また、人は複雑な問題に対して嫌悪感を抱きがちだ。そして放置してしまう。けれど、それが詳細に構造が分かっていれば、嫌悪感も湧きづらくなる。嫌悪感は複雑だと感じるから起きると言える。まとめることで「何だこういう事か」と気軽に考えられるようになるのも良いところだ。

 

ブログには何を書いていくのか

 

  • 興味のある技術の調べと考察

最初は印象深くて興味が湧くものからでいいと思う。自分の中で一番興味が湧くものにスポットを当てて、それが一体どういう仕組みで動いているのかを掘っていく。

そして調べた中でアバウトで良いから、こういう形で行えば出来るじゃないかと考察してみる。

 

  • 具体的な感想

その際に感想もつけておく。愚痴を書いても良い、ただし書くなら具体的にどこが悪いのかを詰めて書く。自分が思ったことを素直に書く。こうしたら良いんじゃないかなと想像したことを書いても良い。具体的に書くことを意識する。

 

  • その技術を学んでいて、将来的に役立つものなのか考える

これは最後にする。一旦はブログにまとめてみて、これは必要ないんじゃないかと感じた場合は、目が肥えたと割り切って辞めてしまっても良いことにする。

 

具体的には

 

最初の頃は、興味関心がある成果物について取り上げることからかな。一通り取り上げたら、その中から自分が好きそうなものを選んで、詳細に掘っていく形になるかな。

 

このときに「今から自分が学んでも遅いんじゃないのか?」と立ち止まらない事が大事かもしれない。

まずはやってみて、やった後のまとめ段階で判断するようにしたらいい。最初は外れを引く場合もあるかもしれないが、読書の本選びのように目が肥えて適切なジャンルややり方を身に着けれるようになると思う。

 

まずは好きな技術についてだな。

 

ブログのタイトルを変えようと思った理由

 

就職した後に、このブログは更新頻度が下がるような気がする。仕事を覚えたり、新しい人との繋がりで生活スタイルが変わる可能性があるからだ。そして、映画や体験談の方がまとめて書くことが多くなるような気もしている。

 

そうした時に「淡々と読書する」はメインではなくなるのかなーと思い、変えようか悩んでいる。

何かを選択するのに

本の紹介で「自分の意見を表現することに恐さがあったけれどやってみる」という話を聞いた。表現について考えたときに、4年前を思い出したので書く。

 

最善策はある。周囲からの願望はあるだろう。けれど選択することに正解は無いのだし。信じているなら、むしろ本心を吐露して言えば良かったなと後悔している。この後悔は次に活かせるので悪くはない。

 

本心を吐露せずに偽ることで他の人に迷惑をかけた。

 

それは何故起きたのかと言うと、もともと自分が本心を吐露することに日常的に警戒していたからだ。もっと自分を表現していいのだ正解なんて無いのだから、選択した道が自分として成立するだけだ。意見が食い違うことを恐れている。

 

吐露することに慣れていこう。些細なことでも表現して伝えてみることが始まりかもしれない。

音楽は記憶を閉じ込める結晶「はじまりのうた」

 

何でか知らないけど感動してしまった。言語化出来てないのが不思議だ。考察したかったのでやってみる。

 

 

 

ライブハウスで弾き語りをしている人の姿を見た事があるからかもしれない。いつかデビューする事を夢見て日本各地のライブハウスを回って演奏している人を思い出す。ライブハウスの独特の陽気さと人付き合いが苦手そうな人達による会話を思い出す。

 

音楽で成功することを夢をみて熱中して作り出す。同じ志を持つ人と共に精神的に支え合っていき、同じ気持ちを共有している。

中には音楽で表現することに生きがいを見出して、儲けることは後に置く人もいる。取り敢えず、自分らしく音楽を奏でられるかを気にする人だったり。

 

ライブハウスの独特な雰囲気が好きだった。そういう自分の気持ちも、映画を見る中で楽しみを増やしてくれたのかなと思う。

 

物語のどこに惹かれたのか

曲作り、曲を売るための録音作成だ。そのために必要だった過程や楽しさハプニングが描かれている。ある程度は都合が良くて何とか作ることができる。

有名じゃなくて金銭的なフォローが受けられないカツカツな状態で音楽を作るのは、苦労も多いし時の運に任せて進むこともあると思う。

 

と、書いていたけど、この映画の言いたいことを書く。

 

この映画は、曲の制作を通じて色々なはじめの1歩を表現しているんだと思う。離婚寸前の妻との和解や、浮気をされた彼氏との関係整理、娘との和解、自分らしい手段で音楽を発信すること、新しい働き方を模索すること、これらが同時に起きている。

 

音楽をやっている中で、感動して行動が変化することはあると思っている。

自分はあった。文化祭の時に慕っていた先輩との演奏が最後になることを悲しんで色々考えた。これから先のことも悩んだ。悩んだからこそ部活を辞めようと思えた。その時の曲を思い出すと感情と記憶が蘇ってくる。

 

この作品が好きなのは、音楽のある感動のある瞬間を自分が体験していたからで、これからもそういう人達を陰ながら見守っていたいという気持ちが心の隅にあるからだと思う。

 

この映画は主題歌を聴くことで、主人公ふたりの気持ちを一気に味わうことができる。不安だけれど挑戦して楽しんだり自分なりの選択をした証が蘇る。それが美しくて懐かしくて、また自分も味わってみたいと思う。

 

 

 

 

 

自立した人間を目指し続ける

 
 不登校で小学生Youtuberをしている話題を観た。そこで出てきた自立という言葉が気になった。自立というのは相対的な価値観であり、評価するには必ず対象となるものが存在しないといけない。
例えば、現在の自分が社会的に自立しているのかは、のちのちに必要となってくる人間関係の想定量との比較になる。未来の理想的な自分との比較がある。
 
自分が思う自立は、下のような関係にあって、依存対象が増えれば増えるほど、その人は自立した人間となっていくと思っている。ちなみに完全な終わりはない。
 
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学校に行くときのメリットは、依存対象を増やすキッカケが、行かない場合よりも多く見つかるからだと思っている。 逆に、学校に行って、依存対象を増やすことがメリットとして映らないのであれば行かなくてもいいのかなと思える。
 
※質が高いのはどうなんだろうと思ったりする。量よりも質が大事な場合もあるからさ。
 

自立の種類について

 自立にも種類がある。それぞれの段階で自立に近づくことが結果的にリスクを分散させることに繋がるかな。
生活の自立:日常生活を行う
経済的自立:稼ぐ
社会的自立:人間関係を自分で作る
精神的自立:ストーリーテリング、信仰 
他にも探したら見つかると思う。こういう種類ごとに、依存対象をだんだんと増やしていくのが自立へと近づいていくように思う。

自立するために育てるもの

自立をするときに、こういうものを自分の中で育てていけば自立に近づけるのかなと思っている。遺伝的な影響によって、得意不得意は分かれるのだが、すべて後から育てれる能力なので、磨いておいて損はないと思う。

論理的に批判する能力:リテラシ

物事を解決するために必要となる。IQの高さとは関係なく、論理的に考える癖があればトラブルを未然に防げる可能性が高まる。

創造的に解決する能力

トラブルを創造的に解決したり、目標を同時に満たすような作戦を練ることが出来る。労力に対して帰ってくる結果が大きくなる場合がある。

感情知性:表現力、共感力

人間関係を作るうえで、相手の気持ちを察したり、自分の気持ちを表現するのは必要だと思っている。 

 

 結局は、経験や知識がものを言うようになってくる。自立は突き詰めるとキリがないので、いつまでも続けていられる。自分が自立していると思った瞬間、自立を諦めた瞬間にモチベが下がると思う。伸びしろを見つけて満足しない目線が欲しい。
また、自立は比較対象との評価になるので、へこまない対象との比較をしつつ続けて行ったら続けやすいと思う。続けることの方が大事になってきそう。
 目標は高く持つよりも、達成可能で前よりも進歩している目標が良いと思う。
 

こういう絆の作り方もあるんだな「対岸の彼女」

 
日常の小さな前進を描いた作品だった。文章が読みやすいのも特徴ですね。
ひとつのドキュメンタリーを見せられた気分になった。この物語と同じように悩んでいる人を見つけたり、同じ境遇になった時に、この作品を読んでいて精神的に救われるかもしれない。辛い目にあった時には「同じような目に合っている人は他にも居るんだ」と思えば痛みも安らぎます。
対岸の彼女 (文春文庫)

対岸の彼女 (文春文庫)

 

作者はどういうテーマを入れていたのか

 働く女性と専業主婦をそれぞれ主人公として描くことで、環境の違いからくる心情の違いを対比しやすくしています。ふたりの主人公を魅力的に描いているので、ふたりが解釈のすれ違いで仲たがいをしていく様子がヒヤヒヤします。本を読む側としては、何行か前には相手の心情が書かれているのに、舞台の2人は片方の世界しか知らないんだなと。

 

働く女性としての葵、専業主婦の小夜子、立場が違っても理解して絆を作ることも可能なんだよと伝えているようでした。こういう物語が知られることで、多少なりとも、働いてる女性と専業主婦の女性の間で協力関係が出来たら良いのになっていう新しい関係性の提案かな。
その中でも、物語では主体的に行動することが大切だと伝えているようでした。自分が前から疑問に思っていたこと、みんなの前では発言したことが無かったけど本当は思っている事、そういうことを自分なりに行動に移して、失敗をするかもしれないけど、それでも前よりは良くなっていく。そういう目線を教えられた気がしました。
 
この作品で中心で描きたいのは、女性同士の友情の在り方に思えました。後から知ったのですが、本人が自身の本について語っている記事も有りました。

男性側としては

男性目線では、嫁姑関係が面倒くさいことを事前に知っておけば良かったり、育児と家事に関わる姿勢があればいいのになという目線があった。
子育てのしやすい環境について
  • 夫よりも、妻の両親に近い家に住む
女性が義母に子育てを手伝ってもらうのは、心理的に負荷がかかることが多いそうだ。妻の両親であれば、手伝ってもらいやすい傾向がある。子育てをしやすい環境で育てる方が負担が少ない。
  • 子どもが小さいうちは、そこそこ田舎でも良い
保育園や幼稚園に、待機児童として待たされるリスクは無い方が良い。また教育の面でも高校生までは大人数型でなくても良い。
  • 大学生になる頃には、大人数の人と関わりを持てるところが良い
多くの価値観を吸収した方が良い。26歳までには社会で色んな人と関わってる状態が望ましいかな。
  • 日本、韓国は欧米、ヨーロッパ圏よりも、家事分担が遅れている。料理や子育てスキルを身に着けようとしないのが原因だと思われる。

september36.hatenablog.com

 

 

人体実験は恐いね「アルジャーノンに花束を」

 

愛に関する話しかと思いきやドキュメンタリーSF小説だった。知能が高まる薬を投与して、賢くなったが、失敗作だったので、知能がまた下がってしまった話だ。

物語を通しての感想

人体実験は恐いね

もしこれが事実であったなら、安全性が確かめられていない人体実験は恐いなと思った。チャーリィはIQを高める薬を与えられて、知能が高くなるのだけど、最終的にはIQが元に戻ってしまう。ただでさえ知能が高くなったことで環境への情報量の多さに戸惑っているのに、追い打ちをかけるように自分はまた知能が下がっていくことに気づいてしまう。

この物語の根幹は、非道な人体実験に由来するものが8割ほどだ。「こんなことしてしまう世の中にはなりたくないね~」「人をモノとして扱うなよ!」って話かな。

過去の自分を毛嫌いしてしまう

後半のシーンで、過去のIQが低かった自分が現在の自分を見ている、という妄想に取りつかれていき狂気に陥る。そして、過去の醜い自分を罵倒して、現在の自分に嫌気がさすようになる。

もし、過去の自分が見えたとしたなら、その自分を迎えてやればいいのにな。過去の自分をそのまま否定することは、結局は現在の自分を否定することに繋がるのだから、継続していること変化していることを見つめればいいのに。それだけでいいのにな。

 チャーリィはストーリーテリングをしている最中だったのだろうな。

september36.hatenablog.com

愛だけではなく、共通価値観も必要ではないか

肉体関係のみによって充足を得るチャーリィとフェイには共通点が無さすぎた。ふたりの距離は日常が進むにつれて離れていくようになる。長続きするカップルと言うのは、共通の趣味を持っていることや、笑いの場所が似ていることがある。フェイは「ダンス、芸術」でチャーリィは「研究、数学」だった。

最後の方で妹のノーマと会うシーンがあり、過去を回想する。これがチャーリィの求めていた共通の価値観だと思った。

チャーリィはどうしたら良かったのかを考えた

冒頭で、作者から「知識は人と人との間に楔を打ち込む」と問題提起についてのネタバレから始まる。

  1. チャーリィが知的しょうがい者から、特殊な薬で全知全能人間になる
  2. 人との間に楔を感じて葛藤する:今までの周囲からの反応は、自分を好きで仲良くしてくれた訳ではなく、蔑んで優越感に浸るためだったと知る。周囲はチャーリィが自分よりも賢くなったことに困惑して気味悪がる。
  3. 同じ境遇のアルジャーノンに共感する

この後に、チャーリィがしたら良いと思ったのは、チャーリィのことを知る人がいない町で新しく人生をやり直す事かなーと思う。今までのチャーリィに関わってきた人を許す寛容さを得るのも、復讐心を抑えるのも、別の町でやればいい。破綻している人間関係を修復するよりも、まだ築かれていない人間関係を新しく作る方が、労力は楽に済むからだ。

新しい体験を探して動きまくって、過去をグズグズ考えなければ幸せになれるよ!

2000人に聞いてわかった「幸福な人と不幸な人」を分ける3つの特徴:https://yuchrszk.blogspot.com/2018/01/2000.html

それと関連したもの

頭がいい人は孤独な方が幸せになれる(少ない友人で良いということ)

友達いない方が幸せな人の条件とは?:https://daigoblog.jp/intelligence-friends/

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190527/k10011931021000.html

これを念頭に置くと、チャーリィは賢くなっていくと、新しい趣味を手に入れて、新しい知識の探求に夢中になっていき、幸せを掴んでいくようになってもおかしくない。実際に、研究に没頭しているシーンもあるし、妹のノーマンとの会話で「旅行に行く」と語っている。

知能が高くなったままであるなら、チャーリィはHAPPYENDに進んでいた。

知能の高さは、精神的な豊かさを表してない

 冒頭で作者が語っていることに対しては賛同する。

現在の学校教育では、高いIQをもつ子どもたちに褒賞を与える傾向にあるので、高いIQの子どもたちは、IQ以外の社会的、感情的、常識的知能を磨こう、という気が起きにくく、不幸な結果になるのでしょう

参考:https://www.vice.com/jp/article/paq7ng/only-stupid-people-have-lots-of-friends

この記事は、論文ベースと言うよりは科学者のひとつの見解なので参考程度に収めとこう。IQが人間の生活を豊かにするひとつの要因に過ぎないのは確かだと思う。それのみが重要ではないはずだ。

  • 批判的能力:ものごとが論理だっているのか考える能力(暗記力とは別)
  • 創造力:新しい方法や価値を生み出す能力
  • 感情知性:思いを言葉で表現する能力

あたりが生活をする上で大切になるかなと思っている。これは生まれながら手にするものではない。また実際に行動する回数も大事になってくると思う。個人の見解なので悪しからず。

どれだけ高性能なPCを持っていたとしても、中に入っているアプリケーションが使いにくいものであるなら、性能は低いが良いアプリを入れているPCの方が使いやすいという話に似ているかな。

 

レイヤーの話

 

「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を聞くと、古臭くて現代のニーズに合ってないが、当たっている部分もあると思う。前回の記事から表現してみる。

september36.hatenablog.com

レイヤー(層)の話

絵をパソコンのソフトで描くときに、レイヤー機能を使うことがある。それぞれのパーツだったり色が描かれた透明な紙を、何枚も重ねて作品として仕上げていく、それをパソコン上で再現してくれる機能だ。実際の紙に絵を描くときに間違えた場合は、線を描きなおしたり、色を塗りなおしたりと手間がかかる。この機能を使えば工程を省いて間違えたところだけを直すことが出来る。

こういうレイヤーについて考えている時に、人と関わるうえでヒントになるなーと感じた。ここで、詩と、自分が信仰している発想とを書き並べてみる。

  • 「置かれた場所で咲きなさい」という、現実を受け入れるしか選択肢がない世界、環境での限定的豊かさへの信仰
  • 自分の環境を変化させることができるようになり、「自分の特徴を知って活かしなさい」という創造的豊かさへの信仰

 というのかな。結局のところは、今の自分たちはこの2つのどちらにも当てはまっている状態かなと思っている。恵まれていない環境の人も居る。みんながみんな、経済的に地理的に理解してくれる人間に恵まれている訳ではない。

そうなってくると、前者のような考え方ありきで、後半も徐々に取り入れていく形になるのも仕方がないのかなと思ったりする。

 

どちらにも共通しているのは、人間はいままでの行動理念を肯定するような信仰に対して愛着を持つ。「生きている」から信仰が正しいのだという風にも捉えられなくもない。

その人が直面している環境によって信仰が固定化しやすいことを念頭に、レイヤーが違ったのだと捉えるのはありなのかなと思ったりする。これは常に自分が上のレイヤーに居るという話でもなく。自分よりも良い環境で、研ぎ澄まされた信仰を打ち立てる人も現れるのだろうなという戒めでもあり。自分がらしく生きるための依代でもある。

 

上手く表現できてないので書き直すかも。