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「姑獲鳥の夏」夢から目覚めさせる陰陽師

表紙でイメージした内容とは違っていた

高校の頃から京極夏彦の本を読もうと思っていた。その時は、仙人とか妖怪とかが出てくるファンタジーを読み漁っていたのもあり。その先入観から、妖怪や祟りを原因にした非科学的なナンチャッテ推理小説だと思っていた。

実際は、覚醒状態の人間が催眠状態の人間を現実に誘導する物語であり。推理するためのヒントに民俗学や心理学、地域の伝承を取り扱っていた。非科学的な物語ではなかった。推理は科学だった。
文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)

文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)

 
 
作者が物語を通して何を伝えたかったのかを考えてみる。
京極堂が行ったような、ひとつの解決法を提案している
 この物語では、目が覚めていても夢を見てしまう人物を中心に取り扱っている。主人公の関口君も、鬱症状を持つ人物で物語中に何度か催眠状態になっている。
 
この本で取り扱っていた催眠状態とは「過去に愛していた女性が知人男性の死体を隠しているのを目撃した。つまり犯人は彼女だ。」という結論に行かないように、自分で自分に催眠をかけて記憶を改ざんするというものだった。
そこに、科学的な知識を持った幽霊も妖怪も信じていない陰陽師こと京極堂が現れる。催眠で生じる矛盾を突くことで催眠状態を解き、事件は解決する。
 
このように催眠のせいで現実が見えなくなり。自分が抱えている本当の問題が分からなくて困っている人に対して夢を解く方法としていかかでしょうか?という作者からの訴えに思えた。
物語を押し付ける高慢さ
前に書いたブログ内容をベースに考えていく。
 
彼ら彼女らが生きるための理由は、催眠状態で成立する「自分以外、無意識の自分によって作られた都合のいい物語」にあった。彼ら彼女らはその物語を信じている限り正常で居られた。そこに京極堂が現れて現実を叩きつけて物語を破壊してしまう。物語を失った人たちは狂気に陥ってしまう。
 
 京極堂自身は死傷者を出してしまったことを後悔している。このことから察するに、作者自身もこの行為が正しいとは思っておらず。やむを得ない策として描いているのかなと想像する。
そうすると、親は子供の人生を縛って破滅させないで欲しいというメッセージが見えてくるかな。
物語が無くなってしまうこと
 京極堂による虚構の物語を奪う行為が危険だと感じた。物語を奪うと同時に彼ら彼女らは依代を失うわけだ。別の依代へ移り変わるように促す目線が短絡していたと感じた。
もちろん手遅れだったという見方もあるし。他人から送られる依代を簡単に信じるのは難しいという見方もある。*1親から送られた依代の方が安心感や信頼があるかもしれない。
こういう場合に、「そっとしておく」という手段もなかったのだろうかと考える。あの事件は、時間が経てば死体が見つかって警察の手で解決するものだった。関口くんが介入したことで死傷者を出してしまったとも言える。物語を奪おうとしてなくても、時として介入するだけでも同じような意味を持つのかもしれない。
 
話は変わるけれど、天動説を唱えた科学者が、宗教信仰者によって見せ者にされて処刑された経緯にも関連している。事実は広まる価値があるのだけれど、どうやって安全に理解してもらうのかを議論する的になると思う。生きる依代である信仰を覆すのは更に難しいだろうな。それとも諦めて必要な犠牲だと黙認してしまうか。出来たら多くの人がスムーズに変換できるようなテクニックがあれば良いな。
 
まだ考えたいので追記するかも。

*1:その場合は、やはり親から継承されている物語に問題があるか。