自分が50歳後半になった時に読み返すのもありだけど、親世代に向けての提案かな。
父が定年になるまで後10年くらいある。5年の間に何らかのアイデアを練って、父にボケにくい環境を手に入れる提案をしたい。
ボケられては困るし。あくまで父親だから、死ぬとしても最後まで思考の宇宙を見ていて欲しい。
1、働く
そのままのスキルを活かせて働けるのなら、そのリズムを壊さずに引き続きやるのが望ましいと思える。
https://september36.hatenablog.com/entry/2019/07/30/120000
ルーチンワークが身体を動かしたり、特殊な人と絡むことなく行うものであれば引き続き行いやすいと思う。
ただ一般的な場合、身体が不自由になったり思考が鈍化したりとチームワークが発揮できずに足を引っ張ってしまい、よく思われずに肩身の狭い思いをするのではないかという心配もある。(杞憂であれば良いのだけど、可能性を潰しておくのは良いかなと。)
2、趣味を持つ
働く選択肢から趣味レベルに切り替える瞬間が来るはず。
趣味で意識したいのは、
- 小さくても良いのでコミュニティに所属しての社交による適度な緊張感
- 持続可能な活動を行うために費用があまりかからない
- 身体と脳回路を使い倒すために「昔学んだ専門知識の活用」「今までの仕事と似た活動」を行う
の3つをクリアするもので考える。
本人が心当たりが有る趣味コミュニティを探すのが一番手っ取り早い気はする。もしくは、本人が小さなコミュニティでも作って趣味で何かを教えたりするのでも良いんかなとか。
あとペット飼ってもらうかな。
https://goodlifesenior.com/wp/news/21418
3、ルーチンワークを崩さない※エビデンス的には自信ない
専業主婦の母は老年期に入っても、あんまりルーチン変わらんだろうから大丈夫そうなんかなと漠然に思っている。
ルーチンを自分で準備して作っておく。
免許返納前からスーパーに徒歩で行く
後は車の運転かな。運転しなくなると途端にフットワークが無くなってしまうんかなと。都市圏に住んでいる訳じゃないから車をよく使う。車で自由にどこかに行くことが日常であり楽しみである人が、車を無くしてしまったらルーチンが崩れるんじゃないかと思ったりする。
予め運転が出来なくなる前から、自転車や徒歩で買い物をやってみて馴染ませて置く必要があるんかなと思ったりする。どちらにせよ、車で移動するという発想から徒歩での移動による感覚付けをして慣れたほうが良いんじゃないかと思ったり。
技術の進歩で自動運転が進めばなあ、、とも思ったり。
自分の生きがいについて考える
自分が今ある日常で幸せなことについて思いを馳せてみて、それが自分のどういう欲求を満たしているのかを分析して、その代用となる案を用意しておく。