生きがいに救われる「ずぶぬれて犬ころ」

 

友人に誘われて町の映画館に行った。映画館で観ること自体が稀で、大型ショッピングモールにある映画館しか知らなかった自分としては、嬉しい機会だった。

映画館内で見ている人の中には、映画に出演している人が居たり、その友人の演劇仲間が居たりと、インディーズバンドのライブ会場を連想した。こういう生き方があるんだなと関心した。何かアイデアの種になりそうな気がする。

 

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お話

公式サイトのあらすじを引用しておく。ちなみに、住宅顕信(すみたく けんしん)。

 2017年、小堀明彦は中学校でいじめにあっていた。教頭の諸岡は、掃除用具に閉じ込められていた明彦を見つける。教室に落ちていた張り紙「予定は決定ではなく未定である」を書いたのは、住宅春美という、かつて諸岡が関わった生徒だったことを語り始める。

1980年前後、住宅春美が働いていた食堂で彼女を紹介されたこと、商店街で再会したこと、春美が得度し「顕信」という法名になり「無量寿庵」という仏間を作ったこと。そして25歳の若さで亡くなったこと。

小堀は、諸岡から借りた住宅顕信の句集「未完成」を読み始め、その俳句と住宅顕信の生涯に徐々にのめり込んでいく。1984年、22歳の住宅顕信急性骨髄性白血病を発症。家族の献身的な介護に支えられながら、句作に没頭していく。しかし病状が悪化し句集「未完成」の原稿を握り締めながら1987年、25歳の若さで亡くなるのだった。小堀は住宅の句と生き方に感銘を受け少しずつ変わっていく……。

引用:http://www.zubuinu.com/story.html 

俳句に没頭して短い人生を生きた住宅顕信と、彼の生き方を俳句から学んだ、いじめられっ子中学生の物語ってところかな。

中学の頃に将来について聞かれること有ったなあ。「将来の目標は将来の目標を決めることです。」と捻くれて書いたのを思い出す。今の中学生は、具体的な将来の目標を聞いてきっちり答えられるんだろうか。あの時の自分が目標を設定していたら何か変わったんだろうか。気になる。

「予定は決定ではなく未定である」の句は良く分からなかったな。「予定は未定」で済ませれば良かったようにも思う。「予定は決定と未定の狭間」だよって事を遠回りに表現したかったのかな。

住宅顕信の死

住宅顕信が、死ぬ寸前まで、俳句の幻覚を見ながらも没頭していく姿は、自身も苦しそうで、そこまではなりたくないと思ったかな。死ぬ手前で良い俳句が出来て「スッキリした!ほな!」くらいで終わるのは有りだと思う自分もいるから、許容する線がさじ加減なところは有るとは思う。

 

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この部分を観ていて別の映画を思い出した。「世界一キライなあなたに」は、全身が麻痺してしまった男性が最終的に安楽死をするまでの話だ。この作品の男性は、動くことが生きがいだったため動けないことが心理的な負荷になった。対して、住宅は頭を働かして作る俳句が生きがいだった。

もし、住宅顕信安楽死の選択肢を持っていたらどうだったんだろうと思った。死ぬ前まで俳句を極めるような気がする。生きがいとなることを続けていられるからだ。特に能動的な生きがいが大事だと思う。

熱中できることが生への前向きな理由になるんじゃないかと思えた。

※自分だったら切りのいい俳句が書けたら最期は安楽死が良いのかなと思うが。(笑)

 

ずぶぬれて犬ころ

この物語で印象に残ったところは、やはり題名にもなっている住宅の句「ずぶぬれて犬ころ」 を少年が感じ取り、雨の中で屋上から飛び降りようとしているところを踏み止まるところだ。

なぜ俳句を思い出して自殺を思いとどまれたのか

「ずぶぬれて犬ころ」の句を書いた住宅顕信は、不治の病だと知り絶望感がある中で、感じ取った感覚を句で表現することで、他の俳人には出せない独特な観点から作品を作ることが出来た。そして、没頭して生きがいとして自分のものにした。

対して、中学生の少年は苛められていて絶望しかなかった。そこで、住宅の俳句に出会う。住宅の俳句は、自分と同じ絶望の中で見える景色と同じものだった。彼は住宅の句の意味が理解できた。同じ辛い境遇にいるからこそ身に染みて分かったはずだ。

 

「ずぶぬれて犬ころ」の句の意味を想像する。本来であれば傘をさして雨をよけるはずだ。けれどしていない。何故なら、雨をよけるための気力がなく、雨に濡れることよりも大きな関心が別にあるからだ。

それは住宅にとって連想する自分の死であったり不自由な身体のことであったりしただろう。面倒を見てくれる親への申し訳なさもあったかもしれない。そして、顔を洗っている時か風呂に入っている時か雨に濡れた時かは分からないが、ふと自分の姿を冷静に見た時にずぶぬれた子犬のような無気力と似ていた。それを作品にいかせると思って、ニヤリとしたと思う。いいアイデアが浮かんだ時に生きがいを感じたはずだ。

 

一方で、中学生はちょうど飛び降りようとしていた時、雨に濡れていた時に句を思いだした。目の前の景色を俳句として作品にした住宅顕信が思い浮かんだ。自分が死のうとしたところを住宅は作品として生かしたのだと知った。こんな辛くて何の希望も見えない中で自分を"いかす"方法を知った。自分が理不尽な境遇にいるからこそ、他の人とは違う目線で世界を観れることを知って前向きになれたのだと思う。

 

過去に生きた人の情熱が、現在の人を生かす原動力になる 

ちょうど最近のブログで、「生存を促す文化」の影響を受けているから自分は生きているのだと書いた。これもそのひとつの例だった。

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