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1950年出版「孤独な群衆」(上)を読んだ

 

この本を読み解くときに、

  • 1950年代に発表された本である
  • アメリカ、もしくはアメリカ進出前の西欧での考察が主である

ことに注意して読んでいきたい。日本にいきなり当てはめるのは難しいかもしれない。それでも分解していくと何かヒントが得られると思う。この本を自分なりにまとめてみる。

孤独な群衆 上 (始まりの本)

孤独な群衆 上 (始まりの本)

 

時代の変化によって、人が欲しがっているものが変化している

この本では人を3種類に分けて説明をしていた。それぞれの性格内容について大ざっぱにまとめてみた。

  1. 伝統指向型:伝統を守り価値観を変えない
  2. 内部指向型:能力を向上させることや地位や尊敬を目指す
  3. 他者指向型:組織に適応して他者と繋がることに意味を見出す

時代変化によって「メディアの発達と、経済の活性化による生活の変化」を理由に、主役の世代が変わっていく、1から2へ、2から3へといった風にだ。テレビが珍しかった時代、テレビが普及して珍しくなくなった時代、インターネットが発達した時代というのが分かりやすい切れ目かな。

家族や友達以外が発信する情報、つまりメディアの情報がどのくらい日常を占めているかで、人間関係や心の底で求めるものが変わってるんだよと言う話だった。

パラメータで考える
分類評価を行う時は、1か0で決めるのは弊害がある。どの傾向が強いのかというパラメータで分析をするのが一番現実に近いと思える。例えば、性格診断の結果として「このグループにあなたは属します」という結果が出たとしても、同じ属性同士の人でも個人差があるはずだ。あくまで大ざっぱに分けられているのだと理解したい。
言い換える
幸福の「資本」論―――あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」

幸福の「資本」論―――あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」

 

分かりやすく解釈するために、この本の考え方を流用してみる。 財産には「人とのつながり」「お金」「知識や教養」というのがあると言われている。これで、それぞれを改めて説明するなら

  1. 伝統指向型:主に財産を基準に考えない
  2. 内部指向型:主に「お金」「知識教養」
  3. 他者指向型:主に「人とのつながり」

 という感じで分類される。ざっくりし過ぎなので主にを強調してみた。これである程度に分かりやすくなったかな。「男は働いて女は家」は伝統指向であり、「独立する女性たち」は内部指向、「インスタ映え」は他者指向にあたる。

日本での割合

本書には1950年代では内部指向型が圧倒的に多いと書かれていた。現在は内部指向型と他者指向型が入り混じっている状態だろうか。体感的に「共感」を呼ぶ娯楽が増えているから他者指向の「人とのつながり」意識はありそうだ。 「共感」をテーマにしたもの、、、「アイドル文化」とかもそれに含まれるのかな。

この本でヒントがあったなーと思ったのは、「内部指向型は他者指向型のマニュアルを作る方向に動くといい」という一文だ。やってみると、内部指向型の人と仲良くなって、物事が良い方向に前進するかもね。

挫折の定義変化
  1. 伝統指向:伝統が犯される
  2. 内部指向:お金や知識や教養が伸び悩む
  3. 他者指向:共感が得られない

適当にはてなダイアリーを見直してみた。

anond.hatelabo.jp

「価値観によって解決策は違うんだろうなー」とコメントやダイアリー返信を眺めていると思う。「猫を愛でる」コメントに人気が出てるのは、やはり「共感」を重視する他者指向型の人が多いからなのか?それとも他者指向型がコメント欄に集まっているに過ぎないのか。気になる。

学べたこと

日本を題材にしている訳ではないけど、疑似的に変化していく世代の価値観を知るのは、これから関わっていく人のペルソナを知るのは、今後コミュニティを作っていくうえで活かせそうだ。

「人とのつながり」を最大限に発揮するために、必要である「お金」「知識や教養」を身に着けたい。仕事で「人のつながり」を補強できたら嬉しいし楽しそうだ。世代の性格変化に悲観的にならずに、発想の転換で生きてきたい。「共感」からつなぐ、知識や教養の習得とかは需要が有りそうだと思った。

他の推察

「孤独な群衆」というのは、他者指向型の主観で語った世界だ。認知されていなかった価値観で社会を改めて見てみると、「もっと共感したい。人と繋がりたいよー。わたしたちはなんて孤独な群衆なんだー」という気づきがあったということかな。悲観的な捉え方を敢えて避けるなら、「まだまだ人との繫がりを楽しむ有余があるぞ!わたし達!」みたいな題名もありかな。ダサいか(笑)

 参考にしたブログ

読んだときの違和感を表現してくれている方も参考になりました。

p-shirokuma.hatenadiary.com

charm.at.webry.info

100年前

関係ないけど、最近は出版年月が古い本とか100年前ぐらいのノンフィクション読んでることが多かったので、現代のネット文化でさらっと意見や知見が拾えるのは尊いと感じた。例えば、メンデル*1の発表がネットにアップされてインフルエンサーの目に留まって爆発的に尊敬の念を送られる世界線。「いや、そんな尊敬求めてないんですよね。けど実験が続けられるなら嬉しいです。」みたいなとこまで想像できた。

メンデルの人柄を示す文献は「花を愛した人だった」のみだから本当かどうかは知らないから願望だけどね。

*1:150年前くらいにえんどう豆の実験で、遺伝する性質には優性と劣勢があるのを見つけた人。実験記録が認知されずに亡くなった。

理想的な老い方

理想的な老い方って何だろうかと悩んでいる。これは現在も悩んでいることだ。どうやって生きるのかの生存目標に直結するからだ。高校での老いに対する意識と、大学で生成した意識では差が見られたのでまとめてみる。

高校時代の老いに対するイメージ

祖父の死から決心

高校の頃に祖父が無くなった。身近な人が亡くなるのは初めてであったので奇妙な体験だった。祖父の顔も性格も覚えていたが、そこまで好きではなかったので悲しくなかったのを覚えている。

  • 酒とたばこはしない
  • 怒鳴って大きな物音を立てるような
    豪快さは常にいらない
  • 暴力を振るわない
  • 親切にする
  • 理論的に話し合いをする
  • 創造的な趣味を持つ*1
  • 本音で話し合える仲間を作る

ここらあたりは決心した。祖父はわたしにとって悪い手本として優秀であったように思う。

 小説などによるイメージ

夢枕獏の「陰陽師」イメージが強かったので、庭で酒を飲みながら水墨画でも書いているのではないかと考えていた。ぼんやりとではあるが、退職後に趣味を見つける生き方を描いていた。

 今の老いに対するイメージ

大学生活で得た価値観

大学での交流や、実際に社会で生きている人に会って価値観は変わってきた。部活に所属してOBの人と交流したり、地元の祭りに出さしてもらった経験は良かった。
社会に貢献している実感は、承認欲求も満たされるし何よりも満足してもらえるという観点を提供するのが魅力的だ。相手にも楽しんでもらえる一石二鳥である。

  • 社会人コミュニティを作って楽しく遊ぶ
  • 社会貢献をする
  • 価値観の違いがあれど組織を適切に運用する
本で得た知識や、考えたもの

 本で得た知識には、自分では気づかなかったことが書かれていた。もしくは気づいていたけれど、どれくらい真実なのかが把握できずに現実が見れていなかったというのが大きい。

  • 定期的に運動をする
  • 食生活に気を付ける
  • 知識を吸収する習慣をつける
  • 知識から自分の考え方をつくる

老いと言えばこの人が思い浮かぶ

外山さんの「思考の整理学」から学ぶことがあった。

思考の整理学 (ちくま文庫)

思考の整理学 (ちくま文庫)

 

この本を読んだ後に思ったのは、「この世代で生まれたなら、この爺さんみたいになりたいな」という感想だった。今から外山さんの生き方を目指すつもりはない。当時は知識へのアクセスが困難な時代だったことを考えると、今と昔では「当たり前」レベルが異なってくる。

それでも老いというテーマで考えたときにヒントがある。ずっと続いていく知的生活は面白い観点だ。いままで習慣にしていなかったことを突然行うのは違和感があるだろう。老いを実感する前から、老いに備えるのは大事だ。

きっかけになった記事

president.jp

この記事の題名は「40代からは本は読まなくていいや」という印象を持たせるので、不適切だと思う。「40代からは知恵になる読書」という題名に変えた方が良いのではないかと思う。

*1:宮本武蔵は武道一筋で他にすることが無かったけれど。途中で芸術を学んだので、充実した余生を過ごした」という漫画の影響

本棚を認識する

最近は図書館で借りた本も読むようにしている。いままでは中古本をAmazonを通して買っていたので、前よりも本棚と向かうことが多くなるだろう。

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本棚の記憶

解決策を直感で見つける

悩んでいるときの解決策を探す方法のひとつを書いていく。

まず関連するであろう本棚の前に立ち、本を眺めていく。本の題名に惹かれたら、ひっくり返して「背表紙」「著者」「出版社」「値段」「年代」を眺めた後に、本の中をペラペラとめくって興味のある単語が出てくるのを待つ。

早読みとか飛ばし読みという類にも2年前に比べたら慣れてきている。

 興味のある本棚の変化

6年前は「哲学」や「心理学」の棚だったのが、「自然科学」「社会学」の棚にまで進出しているので時間の流れと興味の移り変わりを感じれる。小学生のときに「自然科学」の本読まないといけないよなーと思いつつファンタジー小説を読んでたのは懐かしい。

そうやって選んだ本を読むと精神的にも満足感があるし、読んでいて愛着が沸く。

棚からお菓子を選ぶのと、本棚から本を選ぶ作業は似てる

本とは関係ないけど、お菓子の選択も全体を府別して選んでいた。その選び方が本の選出と似ていると思う。

  1. パッケージから味を想像する
  2. おこづかいの範囲内なのか確認する
  3. 内容量が多いほうを選ぶ

似ているなと思った。

ボードゲームでの経験を再表現するという観点から、「お菓子選び」という遊びでも作ってみよう。

意志について

LGBTとして生きていく中で、身近な人との価値観のギャップを感じつつも自分らしく生きていこうとしている方のブログは親近感が沸く。

題材は違えども、価値観のギャップを感じて解決したいと考えているのは同じだからだ。

takahashi-blog.hatenablog.jp

社会のルール、多数派の意見、習慣、そういうものに盲目的にYesと言うのは自己を殺しているんだなと気づく。
もちろん中には、優秀な考え方も存在する。だが、中には元々の意味が無くなってしまったパッケージだけの考え方も存在する。とっくの昔に中身は空っぽなのにパッケージだけを見て信じている。
今でもそういうことはある。自分の考え方に落ち度があった場合は、考え方をインストールしなおして最適化させる。批判されるのは、自分が更新される可能性を見いだせるので良い場だ。議論して新しい基準を見つけることが出来る。

 

たまに衝撃が大きすぎて感情が付いていけないこともあるけれど、そういうのは意志をなるべく保留して時間が経ってから答えを出すようにしている。

最近になって、自分が盲目的にYesと言ってきたことの重大さに気づいた。これからは保留も含めて、自分の回答に注意深くなろうと思う。また強制的な出来事について、もっとNoの声を挙げてもいいだろう。意志を持とう。意志を持って社会に貢献しよう。

花粉症の対策が上手くいってる

一昨年は花粉症の症状がひどかった。十分に睡眠を採れていなかったのやファストフード漬けの日々だったのも原因だろう。

 増える果物アレルギー 花粉症患者、誘発のリスク|ヘルスUP|NIKKEI STYLE

花粉症の延長で、果物アレルギーも出てきてしまって辛かった。スイーツ屋でバイトしてるのにスイーツ食べれない時期は虚無感があった。(笑)

 

そこで、去年の冬ぐらいからラーメンやファストフードを食べない生活を心掛けて野菜も意識して摂取するようになった。そのときに運動もしようと考えてウォーキングをしてんだけど、花粉症が酷くて出来ないシーズンがあった。そこで、水泳なら影響を受けにくいだろうと考えて始めた。

どの効果が有ったのかは分からないけど、現在では花粉症の症状が薄れている。花粉の季節に起床したときの感覚に少し違和感があるから、アレルギーに適応しきったとは言えないけれど。それでもだいぶ良くなっている。今までは外にでると鼻水が出てたのが、普通に息を吸い込んで吐けれる状態になった。

家にいても、外から持ち込んだ花粉に反応して大変だったのが良くなっている。
これからも水泳の運動を続けて,食事も同じく気をつけよう.

 

 

 

バグについて考えた

ボードゲームのアイデアを練るために,概念を分解して遊んでいる.

  1. 例えば,「ブログ」とは何だろうか.「ものを書くこと」だ.
  2. では「書くこと」とは何だろうか「考えていることを実際に外部に出力すること」だ.
  3. 「考えていること」とは何だろうか.......

という感じに永遠と続いていく.既存のモノからヒントを得るのは楽しい.
今回は「バグ」に焦点を当ててみた.普段はネタ帳(onenote)に書いて終わりなのだが,今回は面白い気づきが得られたので書いてみようと思う.

ゲームバグの面白さ条件

ゲームのバグは何故あれほどまでに面白いのだろうか.これを考えるために,ゲームバグ動画を観ても面白いと感じる度合いに違いがあることに着目した.

面白いと感じる条件分岐
  1. そのゲームシナリオを知っている
  2. そのゲームをやったことがある
  3. いままで見たことのないバグである
  4. シュールさが絶妙であるか(ここに線を引くのは難しいと感じる)

まず1と2であるが,やったことのあるゲームと無いのとではバグのどこら辺が面白いのかを感じる感度が変わると思う.やったことのあるゲームであるなら,「え,すごい」と感じてワクワクすることもあると思う.

次に3である.すでにバグの在り方に見慣れてしまっていると「もうお腹いっぱいです」となって感動も薄くなるだろう.

4は次で考えていく.

ゲームバグの面白さ

ゲームバグには2つの面白さがあると思っている.

ギャップ

ゲームバグによって生じた既存シナリオによって生まれる感情と,バグによって飛ばされたことで生じる感情のギャップだ.

「感動する物語だったのに,一瞬で終わってしまった.」
「むずかしい敵だったのに,めちゃくちゃ楽じゃないか」

という感じに.だから,まずバグを楽しむためには一次情報としてゲームの経験や知識がいる.そのうえで,シナリオへの感動を裏切る「バグ」が必要となる.

達成感

ハックした時の達成感だ.シナリオ関係なく,いかにゲームをバグらせるかのTRY&ERRERにこそ感動がある.簡単にバグらせる方法と,難しくて何度も挑戦してバグってくれた時の感動には差があるだろう.

「やっとバグった.嬉しい.成功した.」
「慣れるまでに時間がかかった.バグらせるのに慣れた.嬉しい.」

と言った感じだろうか.

ボードゲームを作成するためのアイデアに昇華するにはどうしたらいいだろう

 達成感を味わう必要があった.しかし,確率に任せたサイコロを転がすだけのゲームには面白味はないだろう.
達成感は面白さに直結するのだが,バグらせるためのモチベーションが何なのかを知る必要がある.ボードゲームをしていてつまらないと思われたら困る.

 動画投稿者がバグらせた動画をあげる意図は何だろうか? 

再生数を稼いでお金にするためという理由は一旦置いといて,何でそれを選んだかの理由を考えてみる.

共感に対する嬉しさだと考える.いままで頑張ってバグらせたものを見てもらって,同じように感動したり違う意見を貰うことを楽しんでいるのではなかろうか.
作品の違った印象を持たせることを楽しんでいる可能性もある.バグを題にすることで,こういうイレギュラーな知見もあるのだと言う知識拡散の楽しさが含まれていそうである.

知識拡散の楽しさとは

ボードゲームの種類で言うなら,創作系のジャンルに入りそうである.

  1. お題が出されるとプレイヤーが答える
  2. ジャッジは多数決で他のプレイヤーが行う
  3. 多くの共感を得たプレイヤーの勝ち

と言った流れのゲームである.他のプレイヤーが面白いと感じるかどうかと言う点が面白い.このお題を解決するために使う回答カードを「バグ要素」を含むようにすると面白かもしれない.

遺伝子の本を続きを読んだ

「遺伝子」を題材にした歴史の流れを理解した.

september36.hatenablog.com

遺伝子改変についての話題が興味深かったので,取り上げてみる.

 遺伝子改変について

HIVのウイルスは知っているように,感染するとずっと身体に影響を及ぼす深刻な病気だ.

そこで,「感染するとずっと身体に影響を及ぼす」というウイルスの特性を利用しつつ良い方向に利用すると,ずっと死ぬまで感染する身体を強くするウイルスも出来るんじゃないかという説にワクワクすると同時に恐さも感じた.実際に人間に適応されるのは無いと願っているが,寿命が短い人にダメもとで行うという発想もあると本書で知ったので無いとは断言できない.

アンビリーバボを見てたら,テロップに「○○は奇跡的にも,新しい遺伝子改変薬によって一命をとりとめた.(太字)」とか流れてもおかしくなくなるんかな.

となってくると,人間とは何なのかっていうアイデンティティの話も挙げられていて,「遺伝+育ち=わたし」の「遺伝性質」を変えられるのは,また人間の定義が変化してくるんだなと思う.「育ち」のみがわたしを意味するとかかな.実際,いまでも薬とか使ってるからな~どこまでがOKなんだろう.グレーな気はする.

 AIについて

AIには人権が存在するのかという話がある.AIが人間の表現の延長であるうちには人権と言うのは存在しないのだろうけど,実際にそこに意志が垣間見えたりするなら人と呼んでも良いのかもしれないよなと思う.

自分自身も他者の行動や環境を入力として,遺伝子から発芽した脳で処理した「個性」を出力している人だと捉えるなら.AIも世代を重ねて適正化した遺伝単位を持って脳を発芽させて,他者と環境を入力として「個性のようなもの」を出力できるなら人なんじゃないのかと思ったりはする.

どこまで責任能力が有るのか自由があるのかも題になりそうだよな.