理想的な老い方って何だろうかと悩んでいる。これは現在も悩んでいることだ。どうやって生きるのかの生存目標に直結するからだ。高校での老いに対する意識と、大学で生成した意識では差が見られたのでまとめてみる。
高校時代の老いに対するイメージ
祖父の死から決心
高校の頃に祖父が無くなった。身近な人が亡くなるのは初めてであったので奇妙な体験だった。祖父の顔も性格も覚えていたが、そこまで好きではなかったので悲しくなかったのを覚えている。
- 酒とたばこはしない
- 怒鳴って大きな物音を立てるような
豪快さは常にいらない - 暴力を振るわない
- 親切にする
- 理論的に話し合いをする
- 創造的な趣味を持つ*1
- 本音で話し合える仲間を作る
ここらあたりは決心した。祖父はわたしにとって悪い手本として優秀であったように思う。
小説などによるイメージ
夢枕獏の「陰陽師」イメージが強かったので、庭で酒を飲みながら水墨画でも書いているのではないかと考えていた。ぼんやりとではあるが、退職後に趣味を見つける生き方を描いていた。
今の老いに対するイメージ
大学生活で得た価値観
大学での交流や、実際に社会で生きている人に会って価値観は変わってきた。部活に所属してOBの人と交流したり、地元の祭りに出さしてもらった経験は良かった。
社会に貢献している実感は、承認欲求も満たされるし何よりも満足してもらえるという観点を提供するのが魅力的だ。相手にも楽しんでもらえる一石二鳥である。
- 社会人コミュニティを作って楽しく遊ぶ
- 社会貢献をする
- 価値観の違いがあれど組織を適切に運用する
本で得た知識や、考えたもの
本で得た知識には、自分では気づかなかったことが書かれていた。もしくは気づいていたけれど、どれくらい真実なのかが把握できずに現実が見れていなかったというのが大きい。
- 定期的に運動をする
- 食生活に気を付ける
- 知識を吸収する習慣をつける
- 知識から自分の考え方をつくる
老いと言えばこの人が思い浮かぶ
外山さんの「思考の整理学」から学ぶことがあった。
この本を読んだ後に思ったのは、「この世代で生まれたなら、この爺さんみたいになりたいな」という感想だった。今から外山さんの生き方を目指すつもりはない。当時は知識へのアクセスが困難な時代だったことを考えると、今と昔では「当たり前」レベルが異なってくる。
それでも老いというテーマで考えたときにヒントがある。ずっと続いていく知的生活は面白い観点だ。いままで習慣にしていなかったことを突然行うのは違和感があるだろう。老いを実感する前から、老いに備えるのは大事だ。
きっかけになった記事
この記事の題名は「40代からは本は読まなくていいや」という印象を持たせるので、不適切だと思う。「40代からは知恵になる読書」という題名に変えた方が良いのではないかと思う。