「尊重する人」「参考にする人」は分かる。そして「尊敬する部分がある」のも分かる。ただ、「尊敬する人」はいないと考えている。もしくは「尊敬する人」という表現が嫌いなのかもしれない。
ひとりの人間が持っている特徴としては以下
- 尊敬する面
- 苦手な面
- 好きな面
- 軽蔑する面
など、いろいろな「良い悪い」の側面を持っていると考えている。それは自分との相性の問題であったり、職業柄や性格による偏りも入っているだろう。この成分の割合が大きいか小さいかが人の具体的な評価につながる。
そこで人間のすべては尊敬できないのではないかと考える。
プラトンのイデアについて
※プラトンの考え方のすべて理解してるわけではないです。考え方にヒントをもらいました。
わたしたちは完全な三角形を作ることはできない。さらに描くこともできない、見たこともない。しかし完全な三角形を理解することは出来る。この頭のなかで理解しうる完全な三角形をイデアという。
うる覚えでお絵かきできるのは、頭の中にイメージがあるからだよね。それを「イデア」と呼ぼうよ!
という考え方だと捉えています。まあ厳密には違うと思いますが(笑)
ここでは、この「イデア」があるという発想を借ります。
尊敬する人とは、自分の目標の延長上にあるヒトではないか
自分の中に尊敬する人の「イデア」があるとしたら、
- 今まで会ってきた人(学校の人、周囲の人)
- メディアで目にした人(小説やマンガ、テレビ、SNS)
この記憶を手掛かりに尊敬の「イデア」を作っていくと考えられる。そして、尊敬の評価基準が作られていく。これを自分の目標とほぼ同じだと考える。
(尊敬する人の「イデア」≒ 自分の目標)
もし自分の目標を達成し続けていったら、尊敬する具体的な人はいなくなるだろう。
「自分の目標」で作ったヒト、「イデア」を求めはじめる。
はじめに戻って理由づけ
冒頭に戻る。
- 「尊重する人」「参考にする人」は分かる。
これは「イデア」を作るうえでの材料としてきちんと見ているから正しいと感じる。
- 「尊敬する部分がある」も分かる。
これも同じで材料だ。
- 「尊敬する人」はいないと考えている。
- もしくは「尊敬する人」という表現が嫌いなのかもしれない。
尊敬する人、偉人が居たとしても美化されている。すべての性質を真似ようとはしないだろう。違和感を覚える。
と書きながら、自分はまた「尊敬する人」という言葉を癖で使うのだろうな。
代用語を何にしよう。「参考にする人」とかかな。