1週間ほど合宿に行っていた。帰ってきた。
旅館ではインターネットを使わなかった。久々のネット環境で嬉しさがある。
合宿には楽しさのためによりも、学びのために行ったので疲労と達成感が大きい。
この反省を長期的に活かして、1週間よりも高い価値を持たせたい。
緊張感のある一週間だった。
またぼちぼち書いていく。
1週間ほど合宿に行っていた。帰ってきた。
旅館ではインターネットを使わなかった。久々のネット環境で嬉しさがある。
合宿には楽しさのためによりも、学びのために行ったので疲労と達成感が大きい。
この反省を長期的に活かして、1週間よりも高い価値を持たせたい。
緊張感のある一週間だった。
またぼちぼち書いていく。
読書をする習慣はついてきている。
読書をしはじめてから、1年と2ヶ月経った。
はじめは、「読んだら忘れない読書術」を読んで、よしブログに残そう!とAmebaブログで書くことからだった。
読む本の種類に制限を掛けている。なるべく小説は読まず。実用書、身につく本を中心に読み進めることにしました。
「知識を増やす」が目標でした。
振り返ると反省点はたくさんあります。
こういう本の路線で読んどけば良かったな、あれは買って無駄だったなとか。本にも良書と悪書があるのが身にしみて分かりました(笑)
図書館や学校の図書室でも読めるんですけど、自分の財布で読んでます。自費だとさらに反省が効くはず……
ほんとに悪書はなるべく読みたくない。
ビジネス本も、怪しいやつと良書の区別がついてきた……出会いたくない。
まだまだお気に入りの本が少ないです。
お気に入り認定の本は10数冊欲しい。
本を読み続けるのも3年は続けてかないと力にならないだろうし、これからも続けていきます。
“
これから書評ブログ書くのは、書くネタが浮かんだらにします。良書でも書きづらいものがある……ノウハウ本だと引用だらけになるし
一回やろうとして心が折れかけた。
"
はてなブログを始めてから、数か月たって存在に気づいた。
そして数か月たった。感想を書いておく。書いておかないと忘れそうだし。
トピックに上がってくる話題の質の平均は「中の下」あたりだと感じている。
はてなブックマークばかり使っているのでは偏る。けど、たまに使うにはいいかなと。
はてなブログの技術系の話題が上がってくるときがあるので、技術者の入門生にとってはありがたい。
あと、はてなブログを使っている年齢層が30代、40代の人が多い。だから歳食ったときの苦労話が上がっていて、参考になると思ってる。
批判的な意見、偏った意見、感動した意見など、いろいろ見られる。
「批判的な思考方法」について考え直している最中なので、参考にして戒めている。
本で概念を理解しても、実際のコメントを分析しないと力がつかないだろうし。
ほどほどに役に立つ。
大学でメディアリテラシーについて軽く学んだ。その記憶から、「前向きな」意見が大事だと気づかされることが多い。
それと、会話機能がないから「対話能力」が付きにくいことに注意している。
これが重宝する。質の高い記事は何年たっても変わらない。
こういうの真似てブログを良くしていこう。
ちゃーっす。
ここで述べる話題は個々人の行動を大ざっぱに分けている。実際、身近なレベルで考えるときに必ずしも良い行動だとは言えない。ドラえもん の もしもボックスの世界 だと思って参考にして欲しい。
「利己的な遺伝子 <増補新装版>」を読んで以来、囚人のジレンマはお気に入りワードだ。
「囚人のジレンマを叫びたい。」「ジレンマという響きを味わっていたい。」という思いが芽生えている。そこから考えを派生させてみる。
囚人のジレンマからヒントを得て、下の2つが言えるのではないかと考えた。
「協力」と「非協力」の行動フェーズがあるとき・・・・・・
→無記憶状態で行われるともいえる。試行するたびに記憶がないから同じ失敗をやらかすということですね。
→この場合は応報戦略がいいと言われてるみたいだ。
論文→「ネットワーク型囚人のジレンマ : 戦略のシミュレーション」
やられたらやりかえす!ただし倍返しではない。瞬時に行う。許す。
→「歴史は繰り返す」 というのはここからも伺えるではなかろうか。
→記憶があるから、試行結果から最善策を選ぼうとするという形です。
つまり、記憶があることがいいと考えている。もしくは記憶に沿って行動することがいいと考えられている。と捉えれる。
そこで、心理学で言われている人間の記憶のいい加減さを挙げる。
今日の科学的理解の多くは、エイモス・トベルスキーとダニエル・カーネマンらの業績に基づいており、彼らの実験によって人間の判断と意思決定が合理的選択理論とは異なった方法で行われていることが示された。
認知バイアスとは
つまり、かならずしも記憶に沿って行動できているとは言えない可能性がある。
歪みが入っているかもしれない。
それじゃあ、どうやって防ごうかと考える。
予防策として3つを挙げてみた。掘り下げてみる。
これには以下の3つが含まれている。
これを記録して改善をしていく。
1では積極的に交渉をしていってよい。2では交渉を避けることが最善策になる。
3では自分の行動をみてから、相手が行動している 可能性を考えるために必要になる。
記録はなにも「自分の記憶だけ」ではない。先人の知恵や失敗を書物や経験談から知ることができる。とくにお勧めしたいのは親や親せき、自分の周りにいるひとを分析することだ。もちろん自分を分析することも忘れずに。
自分の癖を知ることだ。自分が相手にしたかもしれない行動を思い出す足掛かりになる。また個人は周囲からの影響を受けているため、周囲を分析することも自分の分析につながる。
あとは自分の癖を作ることもいいかもしれない。目標を立てて、どんな筋書きで進むのかを具体的に考えることだ。
→自伝ではなく、自分の未来小説のようなものを書いてみるとかだろうか。
分かりやすさ___万人に共通するものを探すには、表現方法に限りがあるのではないか。個々人で適した記録方法や様式は異なるのではないか。
(関係ないけど、端末の身体化が進むとコミュニケーション情報すべてを端末で記憶して、アプリで分類わけする未来とかありそうだなあ。その網目をついてハックする人も現れたりしそうだけど。)
ここまでまとめたが
「集団での囚人のジレンマを当てはめると、違った利得関係があったりする」のであくまで参考に考えるべきだ。
ただ、自分の変化次第でまわりすべての待遇が良くなる可能性を考えるのはあきらめてはならないと思う。
自分にとって変化のない、他者にとっては改善のある集団バイアスからの変化も考えていこう。
よし、夏休みだ。本を読もう!!!!!やっと専門書が読めるううううう。
夏休みに入るまでは課題が多かったので、「かんたんで日常に支障を来さないほどに面白い本」を選んで読んでいた。(これをお菓子読書という。)
そんなことも気にしなくていい。メディアリテラシーに関する本と、心理学系の専門書をさっそく読もう~♪
前回はメディアリテラシー入門書を読んだので、今回は歴史を踏まえて習ってみます。
心理学系の専門書は、ブログに使おうと考えている。既知情報もあるんだろうなあと思いながら読む予定だ。楽しみだ。
あとはトレーニングジムに通おうかなと考えている。
水泳も相変わらずしている。おばあちゃんちに寄って行ってインストラクターさんと知り合いになったりと充実はしている。
んだけど、「夏休みのプール」は人が多い。またそれを想定して、水深が浅くなって泳ぎにくくなってるというデメリットがある。これがつらい。
インストラクターさんも「夏休みは来ない方がいい」と助言してくれたし、運動はジムに変えようと思う。
数学ガールの続編をちびちび読んでいます。
恋愛小説やラノベを意識している数学の本です。2冊目からは世界観が癖になって読みやすくなりました。
学校で習う数学より一歩先の、数学との向き合い方を改善してくれる本だと思います。
実際に数学の見方が変わりつつある。「数学は言語である。」がしっくりくる。言語を習っている感覚にちかくなったかな?
小説では、出てくる3人の女性が「お兄ちゃん」「先輩」「きみ」を使って主人公を呼んでくれます。いろいろなニーズに備えているのも見どころですね?
ネットで書いていた文が本になっています。こっちだと無料で読めます。↓
他の人が書いているブログを読んで、書くモチベを上げてます(笑)
「尊重する人」「参考にする人」は分かる。そして「尊敬する部分がある」のも分かる。ただ、「尊敬する人」はいないと考えている。もしくは「尊敬する人」という表現が嫌いなのかもしれない。
ひとりの人間が持っている特徴としては以下
など、いろいろな「良い悪い」の側面を持っていると考えている。それは自分との相性の問題であったり、職業柄や性格による偏りも入っているだろう。この成分の割合が大きいか小さいかが人の具体的な評価につながる。
そこで人間のすべては尊敬できないのではないかと考える。
※プラトンの考え方のすべて理解してるわけではないです。考え方にヒントをもらいました。
わたしたちは完全な三角形を作ることはできない。さらに描くこともできない、見たこともない。しかし完全な三角形を理解することは出来る。この頭のなかで理解しうる完全な三角形をイデアという。
うる覚えでお絵かきできるのは、頭の中にイメージがあるからだよね。それを「イデア」と呼ぼうよ!
という考え方だと捉えています。まあ厳密には違うと思いますが(笑)
ここでは、この「イデア」があるという発想を借ります。
自分の中に尊敬する人の「イデア」があるとしたら、
この記憶を手掛かりに尊敬の「イデア」を作っていくと考えられる。そして、尊敬の評価基準が作られていく。これを自分の目標とほぼ同じだと考える。
(尊敬する人の「イデア」≒ 自分の目標)
もし自分の目標を達成し続けていったら、尊敬する具体的な人はいなくなるだろう。
「自分の目標」で作ったヒト、「イデア」を求めはじめる。
冒頭に戻る。
これは「イデア」を作るうえでの材料としてきちんと見ているから正しいと感じる。
これも同じで材料だ。
尊敬する人、偉人が居たとしても美化されている。すべての性質を真似ようとはしないだろう。違和感を覚える。
と書きながら、自分はまた「尊敬する人」という言葉を癖で使うのだろうな。
代用語を何にしよう。「参考にする人」とかかな。