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向いてないのだろうな…

 

恋は代替可能なもので、愛情はそれよりは代替しづらいと思っている。

そして現実はそれよりも代替しづらいと強く思っている。

 

今ある現実で、愛情を受けた環境を手に入れて、そこで恋が成立し続けると思ってる。そのどれかが、恋と反するのであれば、その好きは果たして追うべきなのか。現実のパターン分けが済んでいないのに、恋を選択していいのかと恋をするたびに考える。

例えば、現実を変えるための方法が確立されているなら、ある程度の現実的な苦難があっても愛情は機能するし、恋も持続可能だと思う。その方法がない状態で恋愛をするのは愚かだという発想が根底にある。目の前に苦難が無いとしても、いつか来るんじゃ無いかという恐れが大きい。

 

これを書いていて、何でこんな思想が頭の中にあるのか考え直した。それは小学生の思い出にあると思う。父の会社自体の業績が悪く、会社からの待遇が悪化したり(社員が一斉にリストラされることも聞いたりした)、その影響で父の酒癖がさらに悪くなって鬱になって、母も心労で鬱になっての現実があったから、人は現実に翻弄されたら愛情もぶっ飛ぶんだなと強く意識付けられたというか。それの二の舞になりたくないから、なるべく安定できる手段を身につけておきたいし、一緒に長くいる人には現実を変える方法とか、愛情を安定化させる手段を持っていて欲しいという気持ちが強い。

 

というのは念頭にしても、自分の行動を考え直した方が良い気もしている。

相手との関係性の先に見てるのは、その相手と結ばれる未来よりそれぞれが安定した環境と現実を手に入れることを願っているのは、別に変えるつもりはない。その方が良いと思ってる。好きな人に伸び伸びして欲しいし、きっとその人の魅力が発揮されるし、良いのだ。恋を優先して今まで得られていた愛情やら友情が希薄になるくらいなら向いてないと思う。

問題は、好きであることを伝えて、相手に時間取ってもらっているのに、それでいて相手が充実した生活を送っていると縁が離れてしまうのでは無いかと不安になって、私が衝動的な行動に出たり、露骨にテンションが下がるとこだ。この恋に恐ろしく向いてないし、時間とってもらっている相手に失礼だよなとは思う。その点をカバーできない時点で諦める方が良いんだろうなと思ってる。恋から愛情とか環境を錬成していくのが安定して出来るように調整しないと、こういうの無理だな…勉強になった。あと、相手には申し訳ないや。重荷にならない程度にフェードアウトしておくようにしよう。他にできそうなこと思いつかないな。