3年前に書いた記事だ。
懐かしい、、地方発展ってどうすれば良いんだろうとかコミュニティ運営どうすればいいのかを考えてた頃だ。移民が入った場合の、長期的な経済発展と短期的な犯罪率の増加とかを関連本漁って、少子高齢化した時に日本が陥るであろう未来について考えたりしてたなと思い出す。
今のコロナ禍だと、地方の発展はどうなるんだろうかと考えていた時に、過去の記事を参考にしようと思った。過去の自分よくやったな(笑)
多分、書いとかないと思考ループするぐらいには記憶力ないからブログとの相性が良いなとつくづく感じる。逆に書いたせいで忘れてる説も7割くらいあるかもしれない、、笑
ミクロとマクロの話をごっちゃにしてはならないような気はしているけど、流れの方を重視して書いてみる。
コロナ禍の地方発展
前に記事に書いていた、人が移動する道を物理的に整備して、経済圏を作るという発想はコロナ禍だとあんま使えなそうだ。
うーーん、、笑
考えた結果分からん(笑)
分からなかったや(爆笑)
そもそも東京という発展した都市が魅力じゃなくなったなら、最速で発展することが目的にならない。衰退は不味いが、人工が密集し過ぎるのも不味い。
程々に人の息が感じれるようなバランスの取れた町が良い。
ゆるく発展する
コロナ禍の地方発展をテーマに考えても何も出てこない。発展するというより、人口を心地よく増やす仕組みづくりに舵を切る方がゆるいか。出会いを作るという感じかな。
基盤を作ったら、後は頭柔らかい人と真面目な人がタッグ組んで何やかんやしてくれるでしょうと。
まずは土壌作りからで、コロナ禍でも心理的にも安心して、経済的にも安定して住めるような流れがいる。
リモートワークからの地方移住
これは自論になる。
都市は娯楽と物理的に近い
都市中心社会の場合は持ち家負債理論は分かるけれど、地方に住みながらフルリモートで働けるんならスーパーに近い地方で持ち家持って生活してる方がQOL高いのかなと考えた。
結局なんのために働いているかと言えば、衣食住を安定して手に入れて好きな趣味に没頭する時間が欲しいからだ。
都市には、そういう場所が揃っているから時間を効率的に使って、楽しいことでいっぱいに出来る選択肢があった訳だ。
コロナ禍で物理的近さが無効化された
で、現在はコロナ禍によって移動における娯楽が制限されている。そうなると都市の利点が薄れてしまう。物理的に近いことがメリットにならなくなる。
ただ、密集しているというストレスのデメリットのみが残る。
都市は人が多すぎてストレス
メリットの効果は無くなる訳ではないので、都市に残る人はいるだろう。
ただ、前よりも少なくなったメリットと今も変わらずあるデメリットを天秤にかけた時に、デメリットの方がデカくなる場合には地方へと拠点をずらすはずだ。
という観点からの地方発展に絡める
で、地方に人が集まってきたとすると。
その人たちは、今まで出勤時間に使ってた時間をゆるい副業となるような趣味繋がりに使い。もしもの時用に働き口を複数持っているようなライフスタイルになると思われる。
老後を先に見据えての居住
衣食住が必要最低限そろえれる環境
地方に住むと不便なのは老いて車が運転ができなくなることだ。
- 衣食住の衣食
これを手に入れるためにどうしても車を使う場合が出てくる。スーパーと服屋に近い場所に住めば問題はなくなる。
- 病院
通院する病院も近いほうがいい。
この部分を考えたときに、食料品店、衣服店、病院が規則的に配置された機能的な町に住むのが望ましくなる。
町単位での緩やかな子孫繁栄
どうやって出会いをデザインするか考える必要がある。
物理的な繋がりではなく、精神的な繋がりで補う必要がある。ネットは使うような気はする。ネットを使った同じ町での出会いか、、、何だろう。
精神的繋がり、、、物語の共有、、特別感、、
置き手紙形式のソーシャルディスタンスを考えた恋愛模様とかはどうか。
うーーーん、それもな。
ネットを使うと場所が広くなるんだよな。それが町での出会いまでに至らない。どちらかと言うと選ぶ方も、町の人口バランスと住みやすさで選ぶようになるはずだから、住みやすくしてるだけで勝手に入ってくる形になる気はする。
バーチャル町イメージ想像
あらゆる町の価値が相対化するのなら、聖地としての町イメージでの選択になるんじゃないかと考えた。
そうすると、作品を通して町おこしという作戦が取れるんじゃないかと。
どうせ引っ越すなら、その町を連想した時に自分が好きな良いイメージ群が現れるのなら、その町を選ぶんじゃないかとか。
「VR 町」で調べて出てくる都道府県は先見の明があったのかもしれない。
後は自然災害が少ないとか、気候的に好きとかかな。そこは差になりそう。