前回に最適解を考えてみたので、そのうえでバチェロレッテである萌子さんの決断を振り返ってみる。
バチェロレッテ・ジャパン シーズン1 特報予告 "逆玉か、玉砕か!?編"
前回でまとめた最善手
- 参加者に対して誠実に愛を持って振舞うこと
- 参加者が自分と本音で意見を交わせる人間なのか判断すること
(感情豊かな想像力&計算高い先読み能力&誠実であるか) - 番組中は参加者を親友としてもてなす努力をすること
- 番組終了後に一番の親友と言える一人と恋を始めること
萌子さんが出した答えについて
萌子さんはかなりの人格者だと思った。最善手の1~3を実践しているように個人的には思えた。これが出来るだけでも人間的魅力はあると思う(笑)特に面白いのが、萌子さんが無意識に行っているのだ。癖になっているんかなと思うと羨ましい。
そして、最善手の4に到達することが無かった。杉本さんに「恋人としての好きじゃない」と言って、黄さんに「人生のパートナーではない(自分と同じものを持っているのに惹かれなかった)」と言って最終回後に始まる恋を描けなかった。
うーーーーーん🗿うーんw (記事の続きを書くために最後のバラを渡すシーンを観なおしてきてモヤモヤが再発したw)杉ちゃんに対しては友人としての魅力を感じているのだよな。黄さんには恋が出来たのだよなあ。
萌子さんが選べれなかった理由、一番の親友と言える一人と恋を始めれなかった理由
萌子さんがどちらかを選べれなかった理由について考えてみた。
ドキュメンタリと言っても映像を意図的に編集している時点で、製作者の意図が入っているので、全部が分かる訳じゃない。だから、候補をあげて推測するくらいしかできない。萌子さんはかなり長めに話す人だし、その中で意図してカットを入れれば文脈を編集で作成することは可能だ。
考えられるのは
- 親友として優劣をつけられないくらい、杉本さんと黄さんが魅力的だったのではないか。
- 萌子さんが、この番組では恋をしてはならないという裏ルールを知らず、恋を色々な人にしてしまったために、自分が誠実ではなくなり選択をする資格があるとは無意識に思えなくなってしまったからではないか。
- 杉本さんが自分に恋をし過ぎているため、お互いに恋の熱量を揃えれないことが長期的にみて破綻が見えたのではないか。杉ちゃんの一目ぼれによって、杉ちゃんが萌子さんに対して甘くし過ぎて一緒に成長するという未来が見えなかったからか。互いに指摘し合える関係性は大事だ。※杉ちゃんは成長するとは思う(笑)
- 黄さんとの恋の熱量は個人的には同じに見えた。これから恋を始めるのにも適しているように思える。しかし、選べなかった。これが分からない。萌子さんが伏せている過去の失恋が原因のように推測できるが、あくまで推測の域かな。
の4つだった。
遅かれ早かれ、萌子さんは分かったのではないかと思う。バチェロレッテとして恋に破れることを。元々、最善手を考えたら破綻しているのは分かるけれど、萌子さんは感性で動くタイプなので、最善手後に導かれる結末とかは気にせずに番組に応募した誘われたと思われる。
あの最終の場面は、萌子さんは二人を振っているように見えて、自分の惨めさが際立った瞬間だったんじゃないかと感じた。
1親友として優劣が付けれなかったから
1に関してはあると思う。*1ある前提で、一歩踏み込んだ所が理由だと思う。
萌子さんは、自分が認める人格者であるかという基準で、黄さんと杉本さんを残していた部分もあるはずだ。特に企画中盤で、バラを片方の参加者に渡して片方に帰ってもらう時に、ルールを変更してでも人に優劣を付けることに手間取った。
この一貫性がこの選択でも同じ形で現れているように思えた。
2自分が誠実ではないと無意識に感じたから
2に関しては混じっているように思える。萌子さんが最後にバラを渡す前日眠れなかった当たりから察するに想像できる。いや、それは常人なんだよ。迷う時間が多すぎる。迷った時点でどちらでもないのだよな。この企画上無理がある。
黄さんと杉本さんを比較していたのかもしれない。バチェロレッテにとって、参加者が自分と本音で意見を交わせる人間なのか判断することの原則に基づくなら、感情豊かな想像力があるか、計算高い先読み能力があるかを比較してしまっていたかもしれない。杉本さんが持っているもの、黄さんが持っている魅力がそれに合致する。
それを天秤に掛けているときに誠実でないと感じてしまったのかなと。相手に対して自分が何かが足りていないと実感してしまったのではないかなと。一人を思い続ける恋が自分にはないのだと。
3杉本さんと自分が持っている恋の熱量に大きな差があったから
3は分かる。今の私もそう選択する。諦めてしまう。人間的に成長する機会を失うような気がしてしまう。
それじゃあ、杉本さんは萌子さんへの恋を表現をセーブしていればよかったのか?と言うとそれも違う。これは番組の性質上仕方がないと言える。
例えば、2か月間の番組で過ごした時間を萌子さんが杉本さんと絞って過ごしていれば、恋はできていた可能性はある。けれど、あの成長した杉本さんは番組での出会い有りきで成立している面もあるので、なかなか難しい現実だなと思ってしまうw
4自分から恋をする勇気が出せなかったから
4については分からない。黄さんで問題ないと感じたのだけれどそうではないのかな。萌子さんは愛することはできても、恋をするのが恐いんじゃないのか?前の失恋を引きずっているのではないか?と思えたかな。4については、黄さんを振った理由がいまいち分かっていないので推測になってしまう。
学ぶこと
記事を一旦書き終わってから数時間経って読み直してみた。ちょこちょこと感じたニュアンスが違うなと書き直していた。
それと、萌子さんの決断なり、ここまでの流れから自分なりの行動理念として参考にしたいことを書いてみようと思った。
恋をするための準備として学びが得られたんじゃないかと思う。
他の人に目移りしないよう努める
バチェロレッテ、バチェラーの環境がそうなのだけど、環境によっては目移りしやすい場合もあると思う。
周囲に異性がいても全員が野菜に見える価値観の人も居たりはするんだろうけどもw
そういう特殊な人は置いておいて、この人!と決めたら目移りしやすい環境に身を置かないように工夫すること、意志として恋をしないように努めることが大事なのかなと思う。
妻帯者がなるべく異性と関わるような飲みの席を避けるとか、そういう行動も延長として似てるかもしれない。
同時に、それが趣味コミュニティに行く事の抵抗になってしまったりするから、恋人を作らないという人も居るんかなーと思う。ここはもちと考えたい。この考えに至ってから理想的な解が見つかってない。
恋をコントロールするよう努める
恋は自分勝手な側面がある。だから恋よりも愛をもって接することが大事だ。
そして、相手と同じくらいの恋をするのも大事だ。互いに恋をすることで相手と同じ立場として居られる証になるように思う。恋の熱量に差があると、関係性は冷めてしまうように思う。
愛はあっても、それは恋をしている時にあるような少年や少女に戻って出会うような特別な空間を作り出すことができないように思う。何歳になっても童心に帰れるというのは凄いことだと思う。
いままで、恋はおまけ程度に考えていた。何なら、恋をしたら負けだとさえ考えている部分もあったように思う。
けれど揃った方がきっと楽しいのだろうなと思うし。あるなら欲しいよなと番組を見て感じた。
人間性を磨いておく
社会人として、人と協力するための振る舞いやら、人との関係性に感謝して生活をして癖として馴染ませて、そうして恩を返している中で自分に自信を持てる人間になることが今は目標だ。
失敗から学ぶことは出来ても、それは自信には繋がらない。結局はどこかで挑戦して実感するまで動き続けないといけない。
ここまで書いていて自分はどうなんだろうと思う。最善手の1~3も満足にできないんじゃないかと思ってしまう。今に、今を大切に生きるのが大事だなと感じている。
こっち側に戻ります
現実離れをした作品を観たので、RADWIMPSの「トレモロ」でも聴いてこっち側に戻ってみる。
トレモロの解釈を書いたサイトがあって共感できたので貼っておく。今後に記事を書くときに、映画や本以外にも音楽の歌詞について記事作っても良いなーと思った。
トレモロの「真実とはそれだけで美しいんだよ。」この言葉に何回感動したか。高校の頃にCDを貸してくれた友人に感謝している。
この曲を聴いていると、今会う人の今の姿は今しか見られないし、今の自分が感じる体験は今しか得られない。それを尊いと思えるように過ごしたいと思える。
いくらか戻れた気がするw
*1:ないかなと思ってたけど考え直した。