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満ちる愛と空の欲望「バナナフィッシュ」

ゴールデンウィーク中はアニメ三昧の日々になった。妹に勧められたバナナフィッシュの感想を書いてみる。

作者は何を描きたかったのか

愛と言うのは献身的だ。欲望から来る恋は自分本位だ。尽くすという目線はない。恋は物への所有欲求とも似ているかもしれない。アッシュを物のように扱おうとしたマフィアのボスが良い例だった。

住む世界が違っても、人種が違っても、どんな酷いことがあっても、愛情と言うのは心の橋渡しをする。橋が無ければ、人間的な愛情を知らないままこの世を生きることになる。誰かのために言われるがまま生きることになる。誰かを愛し、そして愛されることを知るのはこの世界に意味を見出す一つの方法だ。その美しさを、作者はこの作品で描きたかったのだと思う。

その愛を知る時に欲望と言うのはフィルタになる。この物語で悪役として描かれた人達は、欲望を中心に人間が構成されている。悪とも善ともつかない人は、欲望を中心に添えるか愛を中心に添えるかで迷っている。もしくは愛することに怯えていた。

亡くなった人から尚学ぶ

この作品で驚いたのが死の軽さだった。心理描写を丁寧に施したキャラクターが無差別に亡くなっていく。作品によっては、予め亡くなってしまうキャラクターは描写が少なかったりする。全然違う。

この作品はそういう死を身近にした人達の生活や、そこで培うであろう心を表現したかったのだと思う。亡くなった人の分も生きていかなくてはならない。そんな描写が中盤にあった。

これは最後にアッシュが亡くなることにも掛かっていて、英二がこれからを生きることに重みが掛かったと気づいた。

バナナフィシュは何を表しているのか

バナナフィシュを対象に投与することで、強度の催眠を掛けることが可能になる。これによって人を良いように操ることができる。暴力と金と権力を使い、欲望を満たしていた人達は薬を独占することで更に強力な能力を手にできる。

バナナフィシュは欲望に生きる人達にとっての宝だ。愛がなく欲望を中心に置く人たちは欲しくて堪らない。マフィアのボスにとっては、アッシュとバナナフィシュは同列の存在なのだ。

しかし、アッシュにとってはバナナフィシュよりも親しき仲間の方が大事だった。欲望よりも愛を選んだ。バナナフィシュを捨てさせてシンの命を助けた描写が暗示している。

つまりバナナフィシュという言葉から、愛と欲望の対比が出来るようになっている。

なぜアッシュは図書館裏で刺された後に手当てもせずに放置したのか?

 アッシュは、心を許した英二が自分の代わりに傷つくことを一番恐がっていた。自分の命と引き換えに英二の命が得られることにも迷いがなかった。「その同情心はいずれ自らを滅ぼす」と師匠からも言われていた。

アッシュは別れの手紙を読んでいる時にこう思ったはずだ。英二が日本に戻ってくれて良かった。英二は二度とこんな争いに巻き込まれては駄目だ。自分がいれば、また英二に迷惑がかかってしまうかもしれない。自分が英二と親しい仲でいる限り、英二は人質として狙われる身になる。怨恨による殺害の連鎖に巻き込まれる。昔親しかった彼女と同じように、、、

 アッシュが刺された後に命を諦めたのは英二の手紙から愛情を感じ取ったのも理由だろう。自分の人生に意味が見いだせた訳だ。今までは闇雲に獣のように生きていた。それが感情を得て、人間であると実感したのがあの瞬間だったのかもしれない。

オマージュ作品

オマージュしている作品があるのだろうなーと思う描写がいくつかあった。知識不足で分からなかった。この文章を書いた後に、また検索でもしようと思う。

追記:探してみるとやっぱりあった。J.D.サリンジャーの「バナナフィシュにうってつけの日」をオマージュしているよう。同じ著者作品の「ライ麦畑でつかまえて」も、最終回の題名になってるから関連してるはず。

アニメ「BANANA FISH」最終回(24話)が放送終了!原作ファンの感想・考察【ネタバレあり】

【本】J.D.サリンジャー『バナナフィッシュにうってつけの日』解読:るちょのブロマガ - ブロマガ

ナイン・ストーリーズ/サリンジャー~バナナフィッシュにうってつけの日の謎~ - 深夜図書

バナナフィッシュ最終回タイトル『ライ麦畑でつかまえて』っ... - Yahoo!知恵袋

go bananas
訳語 激怒する;怒り狂う;熱狂する

引用元:https://www.google.com/amp/s/ejje.weblio.jp/content/amp/go%2bbananas

バナナフィシュが表しているのは、かつてのような心を失った兵士のことだろう。戦場で、荒れ果てた生活で、人を殺すことに心を厭わなくなった人が持つもの。アッシュの兄がベトナム戦争から帰って、PTSD状態に似たバナナフィシュによる症状になっているのも頷ける。

原作も本作品も、バナナフィシュという言葉に1つ以上の意味を付けて描写している。それが魅惑的な謎となって作品に磨きをかけている。

作者は彼の作品を考察して、その後に自らの作品に吸収させている、、、オマージュを使いこなした作品は深い。

PVからの考察

https://youtu.be/L-Bzhpm8h0o

バナナフィシュのエンドロールに使われている、King GnuのPrayer XのPVはアッシュを表している。

ここから考察すると、アッシュ自身が祈られて崇められるような生き方は御免だと言う気持ちが読める。

どうせ自分が死ねば違う誰かが祈りの対象になる。そして、その人が死ねば別の誰かが立てられる。それが永遠に繰り返される。こんな装置の中に入っていても、何も楽しくない。

と、だから最後には自分の頭を拳銃で撃ち抜いている。このPV通りの心情だと言うなら、最後にナイフで刺された後のシーンは治療を急げば命を繋げれたけど、敢えて死ぬことを選んだと見れる。

最後に

共依存系BLぽいから考察しないで良いかなーと思ってたけど、考察してみると案外面白かった。愛は心理的依存ではあるよなーとは思う。その依代を増やせれば良いんだけどね。依存の種類が増えれば自立できるようになる。アッシュには英二以外の依代があれば良かったのになと思う。惜しい。

 

愛を与えるのはもちろん、愛を受け取るのにも相手を信用しないといけない。