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つながりを避けたり求めたり「デス・ストランディングの考察」【ネタバレ有り】

日本語訳にするとデスストランディングは「死の座礁」という意味になる。死という概念が海辺に流されてくるイメージがある。

 

このゲームには、生前に特殊な臨死体験をした人は、あの世に直接流されずに、ビーチ(三途の川辺)に降り立つ事ができるという設定がある。そのビーチから元の世界に戻ることで何度も蘇ることができる。このビーチに流れ着くことがデスストランディングという感じかな。

 

「死には意味がある」という宗教観をオマージュして作られた世界観だと思った。輪廻転生あたりかと。生まれ変わったら〇〇になりたいと信じる人は意外と居ると思う。
自分は死には意味はないと思っているが、死からの影響は受けるんだろうなと思っている。「つながり」の喪失は影響を及ぼす。
 
の作品を通して「つながり」という点について意識させられた。それはゲームシステムに関しても、物語に関しても同様のテーマがあった。
 

ゲームシステムでの「つながり」

まずはゲームシステムから。他プレイヤーがワールド内に設置した橋、はしご、ロープ、道路などを使える点から、この世界には、目的を果たそうとしている、協力できる、仲間がいるのだということを伝えたいのだと思えた。
だが、具体的にプレイヤー同士の協力を行っている訳では無い。単純な「協力って良いな」を表現したかった作品ではない。もし、そう表現したいのであれば、実際に他プレイヤーと同じワールドを共有して共闘できるシステムにすれば良かった。プレイヤー対応人数も1Pでない方が良かった。
敢えて、他の人が作ったモノだけは使えるということに目を向けたのは、意図した協力ではない、「偶発的な協力の尊さ」と、それに準ずる「他者への知らないうちの影響」をプレイヤーに気づいて欲しかったのかもしれない。
 

物語においての「つながり」

ここまではゲームシステムに関する考察だ。次は物語について考えてみる。
 
「つながり」による安心感や便利さ
壊滅状態のアメリカを繋げるために特殊な通信システムを建設する。これによって「つながり」を作ることできた。これによって協力による創造が可能になるだろう。「つながり」の安心感や便利さを伝えたかったと想像できる。それを自分がコントロールしているキャラクターで行なっていたのだと、自分は繋がりを作る点だったのだと理解することが出来る。「つながり」を作る大変さを知るだろう。途中に分け与えられる技術力の向上によって運送システムが向上し、「つながり」やすくなっていることも実感できる。
 
「つながり」は性質である
「つながり」がとにかくあれば良いという訳ではない。この物語では「つながり」があることで責任が生じることについても触れている。繋がっているというのは、誰かに影響力があるということだ。そうした時に、自分の影響力について気づき、時に責任をもって決断をしなくてはならない場面があるというメッセージがあった。
 
「つながり」を意図的に絶ったり、「つながり」を結ぼうと奮闘したり。この作品では2対の「つながり」と各々の関係性を見つけることが出来ると思う。
 
例えば、エンディングで、新しい希望のある「つながり」としてBBとサムの関係がある。BBは今まで道具として扱われていた、それが旅を通じて「つながり」の意味を考えるようになっていく。今までの苦境を一緒に乗り越えてきたパートナーとなり、もしかしたら自分がBBという立場で生まれ変わっているはずだったと、思いを馳せるようになる。
 
エンディングシーンに近い、サム(本当はサムではない人)に瀕死のクリフがBBを預けるシーンは、昔サム自身がBBだった頃に記憶していたクリフの行動を今やっと理解したことを表している。
当時は赤子だから、クリフが何をしているのか理解していなかった。クリフはBBのことを大切に思い、庇おうと命を掛けていた。それに気づけたのは一連の物語を通じて変化しているからだろう。
 
BBが擬似的な赤ちゃんとして認識されるようになった点を抜き出すと、サムが父性に目覚めたことを描いた作品でもある。いろいろ詰め込んでて面白い(笑)