自我について哲学をした人たちと言うのは昔に何人もいる。そして、現在も自我の細部については分かっていない。
答えは出なくていいので自我について考えてみたい。追記するのでバラバラに書いていきます。
- 生物としての自我
人間も動物と同じように、自我がある時とない時があると思ってる。
「狩りで獲物を追うときや協力する際に、相手の気持ちや行動を予想するために脳は発達した。それを内側に向けて、自分が考えていることに気づけたことが自我のはじまり。」という説を推しておく。
- 自我とは何か
目が覚めている時に考えながら行動することかな。感情を出している時や、考え事をしているときに自我があると思っている。それと、自分の考えていることが他者に直接伝わらないことも特徴だと思っている。
脳を構成しているニューロンは電気信号でやりとりをして、記憶したり考えたりしているけれど、その電気信号が届くニューロンの範囲内が「自我」を作り出していると思っている。
- 自我の継続性はどこにあるのか
睡眠を取っている時に自我は眠っていると思っている。
- 自我は分裂するのか
- 分裂するとして、今ある自我はどっちに行くのか、
ランダムで移動して、思考の一部が記憶喪失のように思い出せなくなるんかな。
- 自我は吸収される
もし自分よりも大きな自我に会ったらどうなるのか。自分よりも大きな脳に取り込まれた時にどうなるのか。自我は吸収されてしまいまい。大きな脳の一部として、少しの意思を残したまま動くのかな。
これは脳が直接繋がれてなくても、現在でも起きていることだと思う。文化の影響や外部からの影響、特に鹿や犬のような動物が感じていない影響を人間は受けている。自我が溶け込んでいるとも捉えられる。
- 脳の脳による延長はできるのか
もし脳のニューロンが発する電気信号を別のニューロンと繋げることが出来たら、新しい自我の形が生まれるのではないかと思う。
- 脳の延長を外したあとに残るのは何か
- タコ足の気持ちになる
タコの脳と、タコの足はニューロンで出来ている。ニューロンは独自で考えることができるのが特徴だ。タコの足は、タコの脳による指令で動かす事ができるし、タコの足単体で動かすことができると読んだことがある。
自分よりも巨大な脳に吸収されるというのは、自分がタコの足として生まれてきたときと類似するように思える。
タコの別の話で、本体が逃げるためにタコの足を切り離して食べさせるというものがある。もし、タコの足として生まれたとしたら、本体のためなら犠牲になる可能性もある。
思想についても同じように思う。知らないうちに自分が足切りのコマとして使われている場合もあるかもしれない。
*1:タコ同士で貝のマンションを作ったりするとこ好き