メニュー

メディアリテラシーで考える「帰ってきたヒトラー」

https://rr.img.naver.jp/mig?src=http%3A%2F%2Fimgcc.naver.jp%2Fkaze%2Fmission%2FUSER%2F20160616%2F27%2F2689757%2F0%2F500x500x60fef0dea1c3420b819e6575.jpg%2F300%2F600&twidth=300&theight=600&qlt=80&res_format=jpg&op=r

映画を観て感動したー、考えさせられた。

 

最近はメディアリテラシーについて考える機会がありました。

その上で感想と考察を書いていきます。

 

getnews.jp

 帰ってきたヒトラー』(かえってきたヒトラー、原題:Er ist wieder da 「彼が帰ってきた」)は、ティムール・ヴェルメシュが2012年に発表した風刺小説である。現代のドイツに蘇ったアドルフ・ヒトラーが巻き起こす騒動を描く。ドイツではベストセラーになり、映画化されている

wiki 2017/6/26

この映像作品はドキュメンタリ映像を編集したもの” でも ”ある。

ヒトラーの姿でドイツに現れたときの、市民の行動をフィルムで撮っている。

これから、3つの観点が気になった。

  • 俳優の演技力に魅せられた市民がいること
  • この作品が何を伝えたいのか
  • この作品を見た後に、自分は何を感じたのか

 

俳優の演技力に魅せられた市民がいること

「登場人物によって語られている解釈」や、「個人の考察」も含めて書いていく。

  • 自信を持って行動することで聴衆は言うことを聞いてしまう

 

 相手の意見に動じない、適度に沈黙を長びかせて聴衆に緊張を持たせる、深くゆっくりうなずく、力強くこぶしを振る、深く腰掛けるなど、常に自分の立場が上だと信じ切って行動している。

「自分のことを本当は敬っている」と相手に錯覚させる方法を身に着けている。

また「身近な親切を行うこと」「相手の話を親身に聞くこと」の二つを行い、人に近寄っていく。

 

 これ単体では何も害はないとみている。リーダーシップをとることが出来る人間は大勢いるだろう。ヒトラーのように考え方が傾倒しない組織も存在するはずだ。

重要なのは2つある。

 

-「傾倒した考え方」に疑問を持てるのか

作中のヒトラーはタイムスリップしてきた。そのため身元確認の「信用書類」が存在しない。またたびたび差別発言が見られる。

それでも周囲の人間は「発言力や影響力、信用」によって問題はないと考えた。

「人生観や目的」について言及することもなかった。

ヒトラーの考え方を改善することがなかった。

-  発言力を確保できているのか

独裁になると、進行方向が誤っていても進んでしまうリスクがある。

発言力の弱いものは強いものに通されてしまいがちである。

唯一、ヒトラーの正体を知る人間は精神病棟に入れられてしまった。

いかに発言力をもつ人間になるのか、ストッパーとなる人間がいるのかが重要である。

 

 この作品が何を伝えたいのか

  •  リーダーシップを取っている人が必ずしも善人ではないこと
  • 影響力のもつ表と影を知る必要があること
  •  考えて行動すること
  • 政治に対して関心を持つこと
  • 目先の活動だけでなく、核となる考え方にも目を向けること

映画では上手く混ぜ合わせて表現しているが、個別に考えていく内容であると思う。

YoutubeTwitterなどのメディア発信が気軽にできるようになった今こそ、考える内容であろう。

「すごい人が言っているから」、「あの人が言っているから」と言った価値観がある現在。自分で選択し、どこで間違っているのかを止めれる人間になろう。

 

この作品を見た後に、自分は何を感じたのか

  • 映画自体を振り返るとユーモアを入れたり、起承転結、カットのテンポの良さもメリハリがあって見やすかった。

 真面目にドキュメンタリーとして、「ヒトラーの写真」や「戦争の映像」を見せられながらのメディアのよくある構成だったら退屈だったろう。

「はい、この人悪い人ですよね~」といって深くは考えずに終わるように思う。

 映画というフィクションを通じて「日常から浸食されていくリアル」が鮮明で恐怖を感じ、考える必要性が迫られた。

  • 「映像から得られる感想」と「それに対する感想」

 映像中で通常なら「笑ってはいけない場面」で、映像テクニックを通じて笑わせようとしていた。ユダヤ人への差別発言や、外国人への差別発言を述べるシーンだ。

BGMを明るいテンポの良いものにして、出演者が笑うことで笑いを誘おうとする。

「君はつられて笑ってしまうのかい?」

視聴者の意志力を計っている作者の意図が見える。

映像を観るときの癖や、思考力も磨いていかなくてはならないと思った。