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犬を意識しながら1年経ったら、案外犬も好きになってきた

1年前までは道を歩いているときに犬の横をビビりながら歩いていた。
逆に対抗心を燃やして「人間を舐めるな」と頭の中で唱えながら横を通っている日もあった。(吠えられたらビビってた)


それくらい犬が苦手だったが、変化のきっかけはデートのときにあった。
好きだった女の子と店でランチを食べながら「猫好きなのか、犬好きなのか」たわいのない話をしたのを覚えている。
いい機会だと思い、犬嫌いを克服しようと考えた。


祖母の家に「さくら」という犬がいる。
恐がってはダメだと考えてよしよしをすることから始めた。
「さくら」は駄犬と言われる部類で、祖母が甘やかしすぎて誰にでも甘える兆候があった。迫りくる犬を回避しつつ撫でるという訓練を繰り返すのちにだんだんと慣れてきた。

気づいたら1年が経っていた。

  • 動物と触れ合うとセロトニン量が増えて幸せホルモンが増加する
  • 飼っている犬と人は似てくる

という2原則を考えながら、犬との触れ合いも「悪くないな」という感覚も掴めてきた。犬好きの気持ちもある程度理解することができるようになった。

けど「研究室帰りで煮詰まっているとき」や「集中力を高めているとき」に、じゃれつかれると腹が立つことはある。
これが普段言われている「猫好きが繊細で自由気まま」「犬好きが人間が好き」に由来する感覚なんだろうね。



犬と猫

ペットとして筆頭に挙げられる、犬と猫のフォルムに関してはどちらも可愛いポテンシャルを持っているし、見すぎると飽きるポテンシャルも持っていると思う。
動物のことはそんなに好きじゃないけど「”未知”とも共存できる可能性がある」と学べたようで満足である。

祖母の家の「さくら」に会うときはたいてい、水泳に行くときだ。
水泳に行く”まえ”と”あと”では、塩素臭のあるなしで印象が変わるのかが好奇心が沸く。駄犬なので尻尾を振ってるのが「知っている人」だからなのか「取り合えず人」だからか分からない。引き続き観察を続けるつもりだ。


あとは自然の摂理における「死」に会ったときにきちんと自分の精神を安定させることができるのか「修行」が待っている。これも一つ念頭に置きながら、健康でまだ若い「さくら」を見ていきたい。