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イヤホンは1万円以上のものを買うと決心した

 

1万円のイヤホンでないと無理だと悟った話。2017年に買ったカナル型イヤホン1万5千円程を使っていた。

ソニー SONY イヤホン h.ear in ハイレゾ対応 カナル型 MDR-EX750

ソニー SONY イヤホン h.ear in ハイレゾ対応 カナル型 MDR-EX750

  • 出版社/メーカー: ソニー(SONY)
  • 発売日: 2015/10/10
  • メディア: Personal Computers
 

 使っている時にゴム状のイヤースピースを無くしてしまったので、この機に別のイヤホンを買おうと思ってアマゾンで2000円代の物を注文した。この時に、前に買ったイヤホンが1万円代であることを完全に忘れていたのが失敗だった、、、気づいてたら買ってなかった。という後悔の元で記事にしている。次にイヤホンを買う時は1万円代のものにする。

 

そして届いてから早速Youtubeを観るとホワイトノイズがかなり気になった。動画視聴中に常にサーっとしたノイズが乗るのは快適ではない。

試しに、前のイヤホンのイヤーピースを取り換えて聴いてみたらホワイトノイズはあった。かすかに聴こえていた。普段気にしていないことも変化があると気づくんだなと少し関心した。とは言え、やっぱり安いイヤホンの方がホワイトノイズが大きい。これは使えないなと思ってしまった。悔しい。

 

結局前のイヤホンのイヤーピースを変えて使うことにした。 

イヤホンの探し方

パソコンでAmazonサイトに行って購入する。Amazonの詳細検索で

  • 10000円~ からの値段
  • 評価が高いもの※評価が☆1と☆5が極端な商品は怪しい
  • 音質が良いことで有名なメーカーは脳死で買ってもいいかも

の条件にする。通常の検索画面では安い2000円台のイヤホンしか表示されないため、買っても良い音質ではない。

 

 

表現方法がかっこよかった「ブラックハッカー」

 

ハッカーが現代の魔法使いのような描かれ方をしていた。ネタバレを含めて感想を言っていく。

ブラック・ハッカー(字幕版)

ブラック・ハッカー(字幕版)

  • 発売日: 2015/03/25
  • メディア: Prime Video
 

作品の中で描かれるハッカーのイメージは、ゲームのウォッチドッグスのイメージが先にあったので、相手のPCや機材をハッキングして人を操って、重要なスキャンダル映像を使って脅迫をして、自分の目的を遂行するような物語になるか、

www.ubisoft.co.jp

ハッカーを描くからには、やっぱり日本ドラマでもやってた「ブラディマンデイ」みたいに、ハッカー同士の騙し合い、義賊のようなホワイトハッカー行動を取りそうだなとも思った。

ブラッディ・マンデイ DVD-BOX I

 

この映画で面白かったのは

  • 叙述トリックで主人公の素性が語られていない
  • 常にPC画面の映像から外を知っている
  • 低予算?

という表現方法だったと思う。画面の切り替わりが少なく、PC画面で描写されるのが特殊でありカッコよかった。ハッカーに対するロマンを詰めて作ったという気持ちが伝わってきた。(笑)

 

最初は、主人公は、女優の追っかけをしている平凡なブログ管理人で、ハッカーに鴨にされて言いように脅迫されて、女優を脅迫して殺した()後に罪を擦り付けられるんだろうなと想像できた。

で途中から、実は脅されている冴えないブロガーではなく、本当は敵対していたハッカーに殺されたはずのハッカーであり、本当のブロガー君は眠らされており、復讐するために成り代わっていたというネタバラシがミソだ。

この視聴者を騙す構図がめちゃくちゃ興奮した。描くシーンをずらしたり、敢えてシーンを描かないことでミスリードさせる。この技法を取り入れた作品を久々に観たので楽しめた。

 

作者はこの映画で、騙し合いを行うハッカーのカッコよさを伝えたかったのだと思う。面白さの枠組みで言えば、ライアーゲームに近い気がする。あれも、騙し合いをしたのちに主人公が上回る勝ちを見せて終わる。観終わった後のスッキリ感が良い作品だった。

 

この映画で、車でかかっている曲もサイバーパンクぽさがあってカッコよかった。

 

www.youtube.com

 

 

 

無を取り入れると良いとき

 

「禅」を説明した動画を観て考えたことを書こうかと。

無感動を得る

中田敦彦Youtube大学の動画で気になったものを時たま見ている。瞑想の派生であるマインドフルネスはメンタルコントロールに良いと前から聞いていたので、気になって観てみた。 

www.youtube.com

 

禅の思想は永遠と疑問を投げかけていくスタイル座禅を組んでマインドフルネスをするスタイルに分かれたと言っていた。元々は1つであったものが、伝承の過程で分かれて伝わったらしい。

 

永遠と疑問を投げかけるスタイルは、「最終的にそんなことは気にする必要があるのか?」という点に収束する発想だと思われる。

武士が「正義とは何か?」と考えていた時に「そもそも何で正義なんて考えているのだろうか。考える必要はあるのだろうか。何故、正義に取りつかれているのだろうか。」という論理的な思考で、自分の頭の中を整理することが主だったみたいだ。

 

座禅を組んでマインドフルネスをするスタイルは、「考えることによる感動を無くそう」という発想だろう。

これはパニックになった人が「考えるのではなくて深く深呼吸してみよう。」と言われて、落ち着く発想と似ていると思う。人間が意図的に副交感神経のスイッチをオンにする方法として、深く深呼吸を続けたり、呼吸を意図的にコントロールすることで、感情の流れから一時的に逃げることができる。それをパニック時ではなく、良くも悪くも感動している時に行うことで、落ち着いた生活を手に入れようという発想だと思う。

 

この説明を聞いて「禅は無感動を得るための思想+問題解決能力を高める思想」なんだなと感じた。と同時に「他の宗教は良い感動を得るための思想」であるという説明も理解しやすかった。

他の宗教は、「良い感動とは何なのか?」という点で色々な考え方に派生していき、何が"良い"のかで対立する宗教になると説明している。

september36.hatenablog.com

良い感動とは何なのか

そうした時に良い感動とは何だろうか。それは社会でより生きやすい状態に身を置くことだと思う。それは時代やその人が置かれている立場によっては違うとは思う。

september36.hatenablog.com

「その時代で求められているニーズに沿って信仰も変わっている」という目線は「ホモデウス」を読んだときに知った。

簡単なもので言えば、資本主義での成功が良い感動に含まれる。「いろいろ大変なことがあったけど、大成功してお金持ちになった」という話はハッピーエンドとして描かれる場合がある。

一方で「いやいや、そうじゃないよ。人間同士の愛こそが良い感動をもたらすのだよ」と言う人は、やっぱり人間至上主義の目線で語っている点では宗教的だ。狩猟社会が終えて農業時代になり、人間同士のコミュニケーションが問題視されるようになった時代ならではの思想である。

社会でより生きやすい状態に身を置くこと(人間至上主義&資本主義)

その人間関係で悩む人たちの延長に人間的な自由の話が入ってくる。

september36.hatenablog.com

 前回に人間的な自由について考えた。そこで天国と地獄の中間地点が人間らしさであると考えた。そして最終的に、他者の人格を尊重し、自己の人格を作る姿勢が「道徳」であり。「道徳」に従って生きることが自由になると解釈した。

その「道徳」を取り入れるときには、行動を繰り返していき成功体験を癖にするのが良いのだろうなとも思ったり。自分は慣れてないから甘いのだろうとも思う。

無感動の利用価値とは

ここまで良い感動を目指す信仰の良さについて書いてきた。

 

けれど、何かを良いと定義するからには悪い場合も起こる。資本主義で言えば、お金が稼げない状況が悪い状況だと言えるし。人間至上主義の価値観で言えば、社会で生きていくための方法が身に付けられなければ悪い状況だと言える。

そういった悪い状態に陥った場合は、少しづつで良いので自分よりもはるかに良い人間と比較するのではなくて、昨日よりもどのくらい進歩したのかを指標にして生きて行くのが理想だと思える。そういう論理的に思考して解決策を考えていくのが、何らかの信仰で善悪を決めたときに明確化される。

 

だから行動をしようと言うのは有っているだろう。有っているけれど、行動したところで変化しないと分かっていたら?行動してもほとんど絶望的な状態であったら?そういう状況に陥った時に「無感動を得る思想」が役に立つのだと思う。

もちろん、無感動と言うのはポジティブな側面を捨てているのも確かだ。無感動には善悪がないのだから、嬉しいという感情も希薄になる。だから、最後の砦として禅を使っていくか、必要な時に必要なだけ利用するのが良いと思える。

 

こう考えていて、感動を人間らしい自由との対面とするなら、無感動は人間らしさを捨てた先にある自由を目指しているんじゃないかと思った。

september36.hatenablog.com

総合してどのように生きるのか

煩悩の塊である自分はいいとこどりをして生きて行きたい。

  • 道徳を得る:他者と自身に関わる理想生活をなるべく衝突しないようにする
    →資本主義の力を使う、コミュニケーション技術を向上させて配慮を覚える、他者の感情を予測できるように知らない思想に触れる、他者が持っている善悪の基準を知っておく
  • 自身の人格を育てる:自分の過去から理想的な未来での生活に向けて、ストーリーテリングを組み、実際にその思想に基づいて行動していく、論理的な解決策を模索する
  • 論理的に解決できない不幸にあった時に無感動を利用する:呼吸瞑想を取り入れる(瞑想の種類によって感情的になるものもあり注意)、感情的な反応を一切やめる、無心でできることに集中する
    ※使いすぎると世捨て人になる気もするので、ほどほどに感動を取り入れた方が良いような気もしている。でもいっそ世を捨てちゃえ感がある人はどうぞ。

というのがまとめかな。

 

数字の∞と0について話してるみたいで面白かった。無限の夢に発散するか、根源の現実に収束するか。創造的思考は発散しそうだし。論理的思考は収束しそうだな。そういう感覚で論理的思考は「禅」に分類すると覚えやすい。

「禅」については深くは分からないけど、良いとこ取りして使えるように馴染ませてみる。

 

8時間バイトを連続勤務しての感想

 

バイトが接客業という、自分が不慣れな職種のせいもあるとは思うが、仕事を始めると1日で贅沢に使える時間が少ないと実感した。

例えば、朝に出勤するまでの時間は娯楽には使えないとして、仕事終わりが18時だとすると、自宅には18時30分過ぎに帰ってきて、ご飯を作って風呂に入る頃には21時になっている。

 

24時には根床につきたいので、毎日3時間しか自由に使える時間がない。寝る前は静かに考え事に耽りたい。実質2時間と少しくらいしかない。

最初の頃は仕事を覚えるのに苦労したり、環境に慣れるのに苦労したりと、帰ってきたときにはクタクタになっているだろう。そうなると3時間をストレス解消の娯楽で埋める自分の姿は容易に想像できる。時間の消費行動に走りそうだ。ある程度は仕方ないと頭に入れておく。

 

そういった時間自体がかなり貴重だというのが分かる。

 

人生の中で「作品を楽しみ考え創作する時間」を多く取り入れたいと考えている。振り返ったときにこの時間が一番楽しかった。

そうした時に、どうやって時間を作るか考えていきたい。

 

まず、環境を整えるために思い浮かぶのは

  • 仕事を毎日8時間行う仕事から離れる
  • 休みが定期的に多く取れる仕事につく
  • 自宅でできる仕事につく

ことが挙げられる。

 

どういう手段があるだろう。

  • 現在の職で3〜5年勤めて、そのスキルを使って希望に合う仕事(上記の項目を満たす仕事)を振ってもらえる所を探して働く。給料はそこまで重要ではない。家と会社の距離は近くするか、家で仕事ができるのに限る。
  • 体調を考えながら、自分でほそぼそと副業(自分がやりたいことをコンテンツ化しないと保たない)をして、当たるまで試行錯誤して作りながら待つ。
  • 仕事自体がやりたいことであれば、仕事中に欲求を満たすことができる。仕事になると逆に好きでなくなってしまう弊害があると聞いたが、それでも好きな部分はあると思うし。現在の仕事にそういう箇所があるかもしれないと探す。

かな。正直、全部やるくらいの気持ちで行動していきたい。

 

長期目標として年に数回判断を悩むようなものもあれば、1ヶ月に数回、1週間に数回行うようなものもあると思う。

 

 

 

トラウマの克服でSF現象は解かれる「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」

 

「青春ギャルゲ」×「SF(ミステリ)」の作品だった。

感動した。思春期にある悩み解決ものとして楽しめたのと、短編ごとにSFを出して障害として扱っているのが個人的に良かった。どういう作品だったのか分解していく。

大雨の夜にすべてを流して

大雨の夜にすべてを流して

  • 発売日: 2018/11/25
  • メディア: Prime Video
 

ギャルゲ特有の色々なヒロインが出てくる展開は、恋愛シミュレーションの娯楽としてはいいんだろうけど、作品に入れ出すと締まりが悪くなりそうで感動の薄い作品になるんだろうなと思った。

けれど、テーマとして複数のキャラクタを出すのは正しかったと感じた。別に女性のみではなくて、男性のキャラクタを登場させて深堀しても良いと思ったけど。これは作者の好みであるギャルゲリスペクトなのか。元々ライトノベルだし、小説の表紙が二次元美女の方が売れるからなのか。

テーマは「トラウマの克服」だった

複数のヒロインが抱えているトラウマだったり恐怖を、主人公が介入しながら解決していく。そうしてヒロイン達は元の日常に戻っていくというのが物語の毎回の流れだった。主人公は一緒にいて助言をする程度で、ヒロイン自身が困難に立ち向かい、解決の糸口を見つけている。主人公の目線から語られる彼女たちが本当の主人公だと途中から気づいた。

この物語全体を通して作者は「あらゆる人がトラウマを抱えていてそれに向き合っているのだ」という事を伝えたかったのだと思う。裏のテーマとしては「悩んでいる人の話を聞くだけだったり、背中を押すだけでも役に立つのだ」という事を伝えたかったようにも感じた。傍に居てくれるだけでも心強かったりするものだ。

スパイスの要素として、恥ずかしさの感情(大げさ)もあった。これは青春要素として学生感を出すためのものだろう。他の人には知られたくない考えを人に覗かれるのは、それが善意や好意である時に恥ずかしいものだ。そういうほっこりとするような恥ずかしさが甘かった。

SF要素もきっちりと入れ込んでいる

これだけだと理不尽な運命に抗いながら学生生活を楽しむ人たちの作品になる。そういう作品はありふれている。たぶん。あれば読むけど。*1

そこにSF要素を入れることで、特殊な設定にしてやろうと考えたんだと思う。*2

存在が認識されない病にかかったり。目的を達成しないと1日が進まないループ物だったり。意識が乖離して二人の人間が現れるようになって、どうやって一人に戻るかだったり。身体が誰かと入れ替わったりと、、、厳密にはサイエンスファンタジーではないのかもしれないけど、どうしようもない状況に陥ることをSF現象に取り込まれる描写で表現している。この表現の仕方が最高に好きだ。

その現象はトラウマを解決すると同時に解消される。

どんな現象なのかが隠されていたり、解決策が不明な状態で話が進んでいくので謎を残しつつ、次が知りたいと思わせるのが良かった。次の話が知りたいと思わせるには、ミステリ要素を入れるのが良いというけど本当にそうだと思った。

この物語をどのように作ったのか想像してみる

感動した作品がどのように作られたのか考えることで、自分も作れないかなと甘い期待をしつつ。想像してみる。この作者がやったことは

  1. テーマを決める
  2. 「トラウマの克服」をテーマとして短編物語を書いて集める
  3. テーマに対しての自分なりの回答を決める「みんなもトラウマに向き合っているのだ」「副題:傍にいるだけで心強いのだ」
  4. 主人公が各キャラクターのトラウマ解決に付き合う形で描くことに決定する
  5. (何らかの意志で)メインキャラクターは全員女性にする

その基礎があって、次にアクセントを入れる

  1. 学園要素を入れよう
  2. 学園にありがちな話を集める:青春要素とか
  1. SF要素も入れよう
  2. SFぽい現象を書いて集める
  3. 各話ごとのキャラクターが原因であることにする

こんな感じかな。テーマに沿って短編を集めたり、SFネタを予めメモっててそれを混ぜて作っていそう。

電気羊を参考にした作品?という感想を見た

感想をめぐっていると、ここでも「電気羊」の話が上がってきていた。やはりSF名作は読むべきかな、、(笑)

フィリップ・K・ディックの物語が面白いのは知っている。同じくAmazonプライムで短編映画集を見ていた。でも、やっぱり濃厚すぎる感じがするんだよな。珍しい食材をそのまま出されたかのような感覚になる。それをもっと楽しむ上で、今回の作品はラノベみたいな世界観と合成させて、日本人好みに作ったって感じなのかな。

地図にない町

地図にない町

  • メディア: Prime Video
 

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」自体をまだ読んでない。読むと世界観がまた変わりそうな作品だ。気が向いたら読もう。その日を楽しみに待とう。来年までには読んでるんかな。

*1:一周回ってありかもしれない。重松清あたりが重厚に書いてそう。

*2:化物語シリーズに近い印象も受ける。あれも「理不尽な運命に抗いながらも学生生活を楽しむ+呪い」の話だった。

人間的な自由とは

 

 前に自由について考えた。

september36.hatenablog.com

 

 結論としては「真の自由とは人間性を捨ててあらゆる進化を遂げること」だと考えた。今度は、人間的な自由について書いてみる。そう考えている時に面白い名言を見つけた。「地獄とは他人である」だ。

 

「人間的な自由」は天国と地獄のはざまにあるんじゃないか

mini-post-uk.blogspot.com

 

「地獄とは他人である」は、他人からどのように判断されるのかを悶々と考えて己を捻じ曲げていくようすこそが地獄だという表現だ。

表向きの華やかな日常を綴らなくてはならないという焦りによって、己の感情を捻じ曲げ、内面にストレスが溜まっていく人たちが想像できる。人の影響を受け、対面を永遠に繕い続けることかな。こういうのは悲しいように思いながらも、これこそが人間らしさでもあると感じれる。地獄の想像は人間らしいからこそできる。

 それじゃあ一方で天国は何だろうかと考えてみる。

「天国とは自分である」かなと考えてみた。自分がどのようになりたいのか悶々と考えて己を変化させていくようすが天国だという表現だ。自分本位に世界が動かせればそれは満足するだろう。本当の天国はあらゆるものが自分で構成されている世界だろう。他人が居れば評価される恐れに苛まれる。それなら、他人を自己と同一化させればいい。

 

こうして見たときに、天国にいる人間も地獄に居る人間も、どこか人間離れしているのだ。地獄の住人は自我が存在しないし。天国の住人はわがまま過ぎる。丁度いい塩梅で、他人からどのように判断されるのかを考えつつ、自分がどのようになりたいのかを考えて変化していく生き方、地獄と天国の両方を感じ取れる生き方だからこそ、人間らしいのではないかと考えれる。

カントの自由論から「人間的な自由」のヒントを得る

 カントの自由論からヒントを得て自由について考えてみる。

○参考:https://moncafe.ti-da.net/e3803663.html

個人的な意訳を含めて、カント的な自由は

  1. なるべく多くの行動を、自己を物語るための行動として再定義して認識することが大事である。その行動の積み重ねが人格になる。※考え込まれた行動体系を指しているみたい
  2. 人格を認めないというのは相手を価格として見なすことになる。それは差別的だ。
  3. 他者の人格を尊重し、自己の人格を作る姿勢が「道徳」であり。「道徳」に従って生きることが自由である。※「道徳」は人によって異なるので自分で作る必要がある。

という意味だと理解した。*1

他者の物語のみを尊重する生き方は、前で語った「地獄」に該当すると考えている。自己の物語のみを作るのは「天国」だと捉えている。両者とも人間の本質だと感じる。社会性を手に入れて生きていく上にはどちらも必要な要素だろう。この意見には概ね賛同できる。

 

自分にとっての道徳って何だろう。自分なりの道徳について考える記事を作ってみてもいいかもしれない。

  •  自分の物語に必要な行動をテキトウに上げて、その際に他者の物語と干渉しあう場面を想像して経験して、互いに上手く行くような解決策を練っておくこと
  • そういう事前の気持ち
  • 他者の人格を予想すること

あたりかな。

*1:「条件付きの行動は駄目だ」と書かれているのは腑に落ちなかった。他者由来の条件付きの行動はダメだけど、自分由来の条件付きなら行けると思う。一歩目を踏み出す勇気と百歩目を踏み出す勇気が一緒に思えない。

後悔する前に親切にしよう「四畳半神話体系」

  Amazonプライムにあったので観てみたら思いのほか面白かった。この人の作品は気が向いたらまた楽しもうと思う。世界観が濃いから、次に楽しむのは3年後とかで良い気もする。

この物語が伝えたいテーマは最終章手前から明かされていくので、飽きたら飛ばして観ても十分に楽しめる。大事なのは何章も同じ生活を繰り返していることと、すべての物語で登場する人物の見え方が少しづつ変わっていることに気づけばいい。

以降はネタバレありきで書いていく。この作品を通じて、自分の大学生活をまとめられたらいいなと思った。

#1 テニスサークル「キューピット」

#1 テニスサークル「キューピット」

  • 発売日: 2015/12/18
  • メディア: Prime Video
 

この物語は何を伝えたかったのか

 最終話が全てだと感じた。最終話だけ見るだけで意味が分かるような気はする。長い長いお通しを食べさせられてて、メインディッシュを出し渋りされてた。

簡単に解釈すると「どの選択をしても自分の人柄から後悔をする人生を歩むだろうから、あの時こうしていればという後悔の渦に巻き込まれるぐらいなら、燻っている先輩の恋路を後押しして、今まで付き合ってきた友人が困っているならば助け船を出し、自分の存在意義を見出し、いままで臆病で近づけないでいた高嶺の人とは付き合いの算段をとって今の人生と向き合うのだ。」という、現実への程よい諦めと勇気と期待に向き合うように勧めている作品だった。そうすれば上手く行くよと。諦めと言うのは、自分がたどった道は妥当であるということかな。

 この物語は好きだ。全面肯定はしないけど、それでも出会えてよかった作品だと思っている。

主人公の気持ちが分かり過ぎる

 この物語は、京都での順風満帆な生活を夢見ていた大学生の2年生から3年生にかけての出来事を綴っている。主人公は失敗して散々な目にあった挙げ句に、お世話になった先輩や友人を助けて恋を成就させるというへんてこなストーリーだ。

大学2年生と言うと自分も苦い思い出がある。

その頃のことを精算したい気持ちもあり、メンバーの顔を見るのも嫌だったりする。メンバーが嫌いというより、当時の自己内面を鏡移ししているかのような気にさせられて嫌なのだ。あの頃の自分に対面して、どうしようもなく愚かだったことを思い出すくらいなら、未来の物事について分かる範囲で語って少しずつ宇宙を広げている方が気が楽だ。まるで妖怪みみっちいだとは思う。

 完全犯罪で逃亡し切れていないのも事実だ。心のわだかまりに絡まって転けていたりする。それは自業自得と言う奴だろう。

四畳半のテリトリを広げることを作者からお勧めされて
わたしは、この作品と同じように家から出ないで空想の中で時間を消費していることの方が多い。

 この物語に啓発されるなら、腐れ縁の友人を救って、恋を成就させるのが良いんだろう。同意するかは置いておいて想像してみよう。

  • 主人公のようにつまらない人生を歩んでいるのは同意しよう。けれど、腐れ縁の友人を助けるにしてもどのようにして助ければいいのだろう。まず私は友人が困っていることさえ知らない。気づけてない。大学2年生の時に逃げたのも清算が出来ているとは言えない。どうにかして、人に知られずに恩返しを達成する方法がないか思案することは有るけれどそれが浮かんでくる気配はない。
  • 明石さんのようなキレのある不思議で理知的な女性に会ったことは、、、、有るが。有るけれど距離が遠い。自分のテリトリー範囲内にあるものじゃないと物語は進まない。進めたくない。体力もお金も掛かりすぎる。臆病と言うか。物理的に体力的にキツい。通常の大学生のように何日もオールできるような体力を持ち合わせていて、昔から身体が丈夫だったら別だけどそうでもない。

 まとめると、一期一会で人に贈り物を定期的に返すこと、体力を増やすことと、アクセスが良い場所で生活を完結させることが良いと気づけた。まず四畳半の中に必要なものを敷き詰めれるようにするのが大事だ。そして後悔する前に感謝を何らかの形で返しておくのは、心残りを潰しておくためにも大事なのかもしれない。そういうノウハウを忘れそうな自分は癖にしておいた方が良いのかもしれない。すぐに返すのは不自然だから、たまに周囲の人に感謝して深く楔を与えるような贈り物を返すように心がけよう。

この物語の最後に、主人公が部屋を6畳か7畳に引っ越したのは、テリトリーを広くしても良いかなと思えたキッカケが彼の中で芽生えたからだろう。それは友人との繋がりを補強したり、恋人の明石さんに気持ちを伝えれたからだとは思う。残念ながら私はまだ4畳で十分だ。というより4畳以外の選択肢はない。それ以上の不確定要素を背負える自信がまだない。それでもこれからは出来ることはしていこう。
四畳半のループ

最終章手前にある四畳半のループは、自室にこもって過去を振り返っていた描写だと思う。実際に自分も似たことをやった。

過去を振り返りながらその中での後悔を壁に貼り付けた。たくさんの願望や意思も貼り付けた。その壁を凝視して、、、これらの思想をまとめてゲットして壁を壊して進めれば良いなと思って夢を見た。

 あれは過去を後悔しているだけじゃなくて、過去の中から未来でどのようなものが必要になるのかを考えている描写だと感じた。そういうことを他の人もしていたんだろうかと少し勇気が出た。

この作品に出会えて

 後悔する前に、感謝を仕掛けることと親切を仕掛けることが大事だなと振り返れた。正直、この作品をきっかけにしなかったら過去を振り返るのもスムーズにいかなかった気がする。キッカケを作ってくれた作品として感謝している。