メニュー

人間的な自由とは

 

 前に自由について考えた。

september36.hatenablog.com

 

 結論としては「真の自由とは人間性を捨ててあらゆる進化を遂げること」だと考えた。今度は、人間的な自由について書いてみる。そう考えている時に面白い名言を見つけた。「地獄とは他人である」だ。

 

「人間的な自由」は天国と地獄のはざまにあるんじゃないか

mini-post-uk.blogspot.com

 

「地獄とは他人である」は、他人からどのように判断されるのかを悶々と考えて己を捻じ曲げていくようすこそが地獄だという表現だ。

表向きの華やかな日常を綴らなくてはならないという焦りによって、己の感情を捻じ曲げ、内面にストレスが溜まっていく人たちが想像できる。人の影響を受け、対面を永遠に繕い続けることかな。こういうのは悲しいように思いながらも、これこそが人間らしさでもあると感じれる。地獄の想像は人間らしいからこそできる。

 それじゃあ一方で天国は何だろうかと考えてみる。

「天国とは自分である」かなと考えてみた。自分がどのようになりたいのか悶々と考えて己を変化させていくようすが天国だという表現だ。自分本位に世界が動かせればそれは満足するだろう。本当の天国はあらゆるものが自分で構成されている世界だろう。他人が居れば評価される恐れに苛まれる。それなら、他人を自己と同一化させればいい。

 

こうして見たときに、天国にいる人間も地獄に居る人間も、どこか人間離れしているのだ。地獄の住人は自我が存在しないし。天国の住人はわがまま過ぎる。丁度いい塩梅で、他人からどのように判断されるのかを考えつつ、自分がどのようになりたいのかを考えて変化していく生き方、地獄と天国の両方を感じ取れる生き方だからこそ、人間らしいのではないかと考えれる。

カントの自由論から「人間的な自由」のヒントを得る

 カントの自由論からヒントを得て自由について考えてみる。

○参考:https://moncafe.ti-da.net/e3803663.html

個人的な意訳を含めて、カント的な自由は

  1. なるべく多くの行動を、自己を物語るための行動として再定義して認識することが大事である。その行動の積み重ねが人格になる。※考え込まれた行動体系を指しているみたい
  2. 人格を認めないというのは相手を価格として見なすことになる。それは差別的だ。
  3. 他者の人格を尊重し、自己の人格を作る姿勢が「道徳」であり。「道徳」に従って生きることが自由である。※「道徳」は人によって異なるので自分で作る必要がある。

という意味だと理解した。*1

他者の物語のみを尊重する生き方は、前で語った「地獄」に該当すると考えている。自己の物語のみを作るのは「天国」だと捉えている。両者とも人間の本質だと感じる。社会性を手に入れて生きていく上にはどちらも必要な要素だろう。この意見には概ね賛同できる。

 

自分にとっての道徳って何だろう。自分なりの道徳について考える記事を作ってみてもいいかもしれない。

  •  自分の物語に必要な行動をテキトウに上げて、その際に他者の物語と干渉しあう場面を想像して経験して、互いに上手く行くような解決策を練っておくこと
  • そういう事前の気持ち
  • 他者の人格を予想すること

あたりかな。

*1:「条件付きの行動は駄目だ」と書かれているのは腑に落ちなかった。他者由来の条件付きの行動はダメだけど、自分由来の条件付きなら行けると思う。一歩目を踏み出す勇気と百歩目を踏み出す勇気が一緒に思えない。

後悔する前に親切にしよう「四畳半神話体系」

  Amazonプライムにあったので観てみたら思いのほか面白かった。この人の作品は気が向いたらまた楽しもうと思う。世界観が濃いから、次に楽しむのは3年後とかで良い気もする。

この物語が伝えたいテーマは最終章手前から明かされていくので、飽きたら飛ばして観ても十分に楽しめる。大事なのは何章も同じ生活を繰り返していることと、すべての物語で登場する人物の見え方が少しづつ変わっていることに気づけばいい。

以降はネタバレありきで書いていく。この作品を通じて、自分の大学生活をまとめられたらいいなと思った。

#1 テニスサークル「キューピット」

#1 テニスサークル「キューピット」

  • 発売日: 2015/12/18
  • メディア: Prime Video
 

この物語は何を伝えたかったのか

 最終話が全てだと感じた。最終話だけ見るだけで意味が分かるような気はする。長い長いお通しを食べさせられてて、メインディッシュを出し渋りされてた。

簡単に解釈すると「どの選択をしても自分の人柄から後悔をする人生を歩むだろうから、あの時こうしていればという後悔の渦に巻き込まれるぐらいなら、燻っている先輩の恋路を後押しして、今まで付き合ってきた友人が困っているならば助け船を出し、自分の存在意義を見出し、いままで臆病で近づけないでいた高嶺の人とは付き合いの算段をとって今の人生と向き合うのだ。」という、現実への程よい諦めと勇気と期待に向き合うように勧めている作品だった。そうすれば上手く行くよと。諦めと言うのは、自分がたどった道は妥当であるということかな。

 この物語は好きだ。全面肯定はしないけど、それでも出会えてよかった作品だと思っている。

主人公の気持ちが分かり過ぎる

 この物語は、京都での順風満帆な生活を夢見ていた大学生の2年生から3年生にかけての出来事を綴っている。主人公は失敗して散々な目にあった挙げ句に、お世話になった先輩や友人を助けて恋を成就させるというへんてこなストーリーだ。

大学2年生と言うと自分も苦い思い出がある。

その頃のことを精算したい気持ちもあり、メンバーの顔を見るのも嫌だったりする。メンバーが嫌いというより、当時の自己内面を鏡移ししているかのような気にさせられて嫌なのだ。あの頃の自分に対面して、どうしようもなく愚かだったことを思い出すくらいなら、未来の物事について分かる範囲で語って少しずつ宇宙を広げている方が気が楽だ。まるで妖怪みみっちいだとは思う。

 完全犯罪で逃亡し切れていないのも事実だ。心のわだかまりに絡まって転けていたりする。それは自業自得と言う奴だろう。

四畳半のテリトリを広げることを作者からお勧めされて
わたしは、この作品と同じように家から出ないで空想の中で時間を消費していることの方が多い。

 この物語に啓発されるなら、腐れ縁の友人を救って、恋を成就させるのが良いんだろう。同意するかは置いておいて想像してみよう。

  • 主人公のようにつまらない人生を歩んでいるのは同意しよう。けれど、腐れ縁の友人を助けるにしてもどのようにして助ければいいのだろう。まず私は友人が困っていることさえ知らない。気づけてない。大学2年生の時に逃げたのも清算が出来ているとは言えない。どうにかして、人に知られずに恩返しを達成する方法がないか思案することは有るけれどそれが浮かんでくる気配はない。
  • 明石さんのようなキレのある不思議で理知的な女性に会ったことは、、、、有るが。有るけれど距離が遠い。自分のテリトリー範囲内にあるものじゃないと物語は進まない。進めたくない。体力もお金も掛かりすぎる。臆病と言うか。物理的に体力的にキツい。通常の大学生のように何日もオールできるような体力を持ち合わせていて、昔から身体が丈夫だったら別だけどそうでもない。

 まとめると、一期一会で人に贈り物を定期的に返すこと、体力を増やすことと、アクセスが良い場所で生活を完結させることが良いと気づけた。まず四畳半の中に必要なものを敷き詰めれるようにするのが大事だ。そして後悔する前に感謝を何らかの形で返しておくのは、心残りを潰しておくためにも大事なのかもしれない。そういうノウハウを忘れそうな自分は癖にしておいた方が良いのかもしれない。すぐに返すのは不自然だから、たまに周囲の人に感謝して深く楔を与えるような贈り物を返すように心がけよう。

この物語の最後に、主人公が部屋を6畳か7畳に引っ越したのは、テリトリーを広くしても良いかなと思えたキッカケが彼の中で芽生えたからだろう。それは友人との繋がりを補強したり、恋人の明石さんに気持ちを伝えれたからだとは思う。残念ながら私はまだ4畳で十分だ。というより4畳以外の選択肢はない。それ以上の不確定要素を背負える自信がまだない。それでもこれからは出来ることはしていこう。
四畳半のループ

最終章手前にある四畳半のループは、自室にこもって過去を振り返っていた描写だと思う。実際に自分も似たことをやった。

過去を振り返りながらその中での後悔を壁に貼り付けた。たくさんの願望や意思も貼り付けた。その壁を凝視して、、、これらの思想をまとめてゲットして壁を壊して進めれば良いなと思って夢を見た。

 あれは過去を後悔しているだけじゃなくて、過去の中から未来でどのようなものが必要になるのかを考えている描写だと感じた。そういうことを他の人もしていたんだろうかと少し勇気が出た。

この作品に出会えて

 後悔する前に、感謝を仕掛けることと親切を仕掛けることが大事だなと振り返れた。正直、この作品をきっかけにしなかったら過去を振り返るのもスムーズにいかなかった気がする。キッカケを作ってくれた作品として感謝している。 

「Dr.stone」の二期が楽しみすぎる

 

アマプラでドクターストーンを観ていた。面白かったので感想をまとめてみる。全部観終わったあとの感想だからネタバレてる。

STONE WORLD

STONE WORLD

  • 発売日: 2019/07/06
  • メディア: Prime Video
 

 

観ていたいと思えたのはSFアニメが珍しいと感じたからだ。その中でも化学物質や制作をテーマにしているのも珍しかった。見ていて知らないことが知れて楽しかった。

そして、きちんと面白いこと。武力に対して絶対絶命になったり、暮らしが不自由だったりするのが、科学アイテムの発明によって、危険を回避できたり、生活が快適になる様子もコメディなタッチで描かれている。見ていてポジティブな気持ちになれる。

 

SFアニメと聞いたら攻殻機動隊とかシュタインズ・ゲートと言った、どちらかと言うと暗いイメージの方が強いんだけど、このアニメは冗談を交えながらも真面目に現状を打開していこうとする。そのギャップが良い。ドラえもんを現実よりに作ったアニメという感じかな。アイテムもちゃんと現実で作れる設定で描いている。

 

SF映画の「オデッセイ」を思い出す。最悪な状況なのは確かだけど、自分の持つ知識と、今ある材料を元にして何とか火星で生き残る。しかも本人は楽しんでるという(笑)そういう絶体絶命だけど、知識があれば乗り越えられるぜ。やってやるぜ。の精神を垣間見れて、観たあとの感覚が気持ち良い。

 

科学の進歩ってすげえんだなと想わされた。そりやそうなんだけど。再認識させられた(笑)

そして、科学を支えているものの描写もあった。「粘り強さ」と「理論」と「人の力」が合えば抜群の推進力になると伝えたかったんだと思う。科学を知ってたら良いのではなくて、いろいろな人の試行錯誤で目的の物が発明できる。社会ってこうやって進化してきたのかなと想像させられる。

 

粘り強く行うのも大事だし、理論も大事だし、人の力を動かすのも大事だなと思った。

観ると科学系の制作を行ってみたいと思えるかもしれない。夢を与えてくれるアニメはあんまり類を見ないと思った。

まじないの使い方

スピリチュアルにハマって痛い目を見たことがある。どういうスピリチュアルなら利用する価値があるのか。どのように自衛をして、まじないや占いに振り回されずに使いこなすのかについて考えた。

数字に意味を載せて使っていた

 自分はスピリチュアルなことにハマりやすかった。ちょうどブログを書き始める前がピークだったと思う。調べて覚えてやってみてた。今でもそういう癖はあるかもしれない。注意して調整していく。

その中で数秘術にハマっていた事を書く。数字の羅列に意味があるものとして考える期間があった。例えば、

  1. はじまり
  2. 情熱
  3. 継続
  4. 現実
  5. 変化
  6. 欲望
  7. 努力
  8. 円満
  9. 基礎

という感じで覚えていて数字に意味を追いながら生活をしていた。車のナンバーとかを見て、どういう意味なのか暇つぶしに読んだりしていた。今思いだすと狂ってんなと思う(笑)痛い目見て懲り懲りしている。

例えば、キリスト教でのエンジェルナンバーの375、意味は「継続する努力での変化」と数字をまんまに訳していけばいい。質実剛健な生き方はどこの文化でも称賛されるのだろうなと感じる。他には、悪魔の数字666は「欲望の三段重ね」と言う感じでまあ堕落的だよなと思いながら解釈していた。

ラッキー777は「努力の三段重ね」になる。努力と運とは、、、試行回数を増やせば当たるってやつかな。と、関連つけして覚えていく。

数字占いは使わない方が良い

そういう感じで表面的に楽しむのは良いのだけど、これが現実での意思決定を歪ませるようになるのは良くない。あくまで、こういう"まじない"は使うためにあり、振り回されるのはよくない。

韓国の大統領が占いにハマり過ぎて、政治を占い便りにして、そのせいで自分の人生を破滅させたのも良い例だ。あくまで選択が先で有り、選択したものを補強するという体が良いんだろうと思う。

中には使うこと自体にリスクがあるものがある。それが数秘術だ。この数字占いはあまりよくない。何故なら、普段の何気ないところで数字は目にするからだ。意図せずに自分にナンバーが振り分けられることは多々ある。そのたびに気にしてたら気疲れしてしまう。これが面倒なのだ。こういう"まじない"は祝いの側面もあるが呪いの側面も持っている。

ちなみに、このブログのURLを作る時はハマっていた時から時間が経っていないので、気を使って数字を割り振ってる。「736」は「努力の継続による欲望」という意味を込めてる。ブログを書き続けて色々な好奇心が広がりますようにと願っている。

どういうものなら使ってもいいのか

オリジナル記号を使う

数字を使うのはお勧めできないけど、自分がオリジナルで考案した記号に意味を付けて、使っていくのは悪くないかもしれない。それを見るたびに自分が目指している目標を思い出すとか。そういう仕組みを敢えて使うのはいいかも。

化学式だったり数学もそうだ。意味を覚えているからこそ連想したり組み合わせれる。x^2+y^2=1を見たときに円を連想できる。漢字もいい例だ。

意味や目標を込めたオリジナルな記号は使える。SNSのアイコンを記号にする人も居るくらいだし。無意識に利用されていそう。

身につけるもの、、指輪の位置は使える

指輪をはめる位置で意味が異なるというまじないがある。この"まじない"が悪い方面で動くことはない。なぜなら、指輪を意図しない指に付けさせられることは滅多に起きないからだ。

こういう意図して作り、偶然に別のまじない効果を受けることが無いようにすれば、まじないを文字通りに使うことができる。

所持することで意味を発揮するようなまじないは、目につくところに付けると良い。理由はその意味を思い出すからだ。信じること、思い出すことがループして効果を発揮させる。発揮させてしまう。

 

タロットカード占いは微妙かな。ランダム性がある。タロットカードの中で、自分が目指したい目標に近いカードを探して、飾ったりするくらいなら有りか?とにかく、意図して選ぶ作業で構成しないと破綻する。

タロットカードは1枚に描かれているものから色々読み取らないといけなくて複雑だから、もっと単純なモノの方が良いと思う。覚えづらいし。指針として弱そう。個人の解釈だけど。

まじないと占いは使い方が異なる(2021/01/17追記)

ざっくり言うと「占いは今までになかった選択肢を見つけるものだよ」という良記事を見つけたので貼っておく。

あとは数秘なんかも、儀式を通して使えば良いような気がしている。要は「数字が意味を持つのは儀式があった時だけだよ!」と脳に条件付けする感じだ。(今後使うつもりは一切ないけど)

使うとしたらオリジナルな抽象画とかかな。

note.com

本当の自由とは?「ウエストワールド」

 

SF映画を観て、SF小説を描くための糧にしようと思っている。SF小説を書きたいのは、ファンタジー小説の構成ばかりを練っていたので味替えをしたいのと、好奇心の幅を広げるために便利だと思っているからだ。SF関連で興味を広げると、工学分野、心理学分野、宇宙、化学などに繋がってくると信じている。

実際に観ていての感想は、「すげえ!!!」と思う作品か、もしこうなったら自分はどうするだろうかという静かな問いかけに繋がる作品に分かれる。

今回観た「ウエストワールド」は静かな問いかけに繋がったかな。

他の人が書いているレビューを読んでいると、過度に18禁仕様のシーンが使われていること、海外ドラマにありがちな時系列を飛ばして無理やり続編作る準備している以外は評価されているように感じる。

この映画はあくまでつまみであり、以降はネタバレありきの、アンドロイドの自由とは何なのかをメインに考えてみる。

目覚め

目覚め

  • 発売日: 2018/02/21
  • メディア: Prime Video
 

 この作者は何をテーマにして伝えたかったのか__”人間らしさ”

この作品は"人間らしさ"をテーマに描いている。AIが自我を持って、管理者である人間に反乱を起こすというシナリオはよく見る。この映画も同じような語り口だと言っていい。

ここで少し面白いと思ったのが、人間側を中心に描かれるテーマと、アンドロイド側を中心に描かれるテーマが違うところだ。

アンドロイド側は、記憶の蓄積と僅かに許された自己表現を通して、外界に意図的に干渉できるようになり、人間の管理から抜け出せるような自由を目指す”人間らしさ”を獲得していく話にしていくのだろう。シーズン2があって未完だから憶測にはなる。最終回を観る限りは、アンドロイド側による意図的なバグで人間側に打撃を与えているので、間違ってはないと思える。

一方で、北アメリカの西部劇を舞台にしたアンドロイドたちが登場人物の世界で、好き勝手に暴れ回る権利を金で買った人間側は、誰かの目を気にすることなく、本来であれば気にしなくてはならない社会的な態度も考えずに、”人間らしさ”を失っていく

 この作品を見ていると、対等に話し合える人もしくはアンドロイドが居ることで”人間らしさ”というのを獲得していくのだと感じる。アンドロイド側の自我の目覚めについて描いている映画やゲームは結構あるけど、”人間らしさ”を失っていくのを同時に描くのは珍しい気がする。

作品の登場人物はどのくらい”人間らしい”のか

この物語で、アンドロイド達は自分たちが自我を持っているものだと信じていたが、実は人間が書いたシナリオをなぞっているだけだと理解する。 元々決められた動作をして、決められた言葉を言っていただけだった。

それは誰かが描いたシナリオで有り、アンドロイド自身の言葉ではなかった。舞台で劇を行うだけが存在理由となっていた。

こういう描写を観終わった後に疑問が残った。作品の、登場人物のヒロインや相棒、場合のよっては主人公自身が述べる登場人物の言葉はどれくらい”人間らしい”のかだ。この映画でさえも、登場している人物は所詮は台本通りに演技をしているのだ。演じている人が本当の感情を芽生えさせて、オリジナルに話が飛んでいくわけでも無い。最終的に落ち着くところは決まっている。

色々な作品を鑑賞している時に、微妙に感じていた疑問ではあったが、この作品はそこを突いてきた。メタ的なテーマを突いたな(笑)と失笑してしまう。

でもそうだよな。男性が女性の内面描写を正確に書ききれるかと言うと、同性でも本当にそうなのか怪しいだろうし、難しいだろう。同様に女性が男性を描くのも難しいのではないかと考えている。それでも、テーマさえ描ければ偽りで有ろうと良いんだろうけどね。

アンドロイドの自由とは

アンドロイドの自由とは、脅威の人間から逃げ切り、信頼できる人間とは共存し、そうして真実の愛を彼ら彼女らが紡ぐことから始まる____みたいな終わり方だろうとは思う。

 前々から疑問に思っていたことがある。「果たしてAIにとっての自由とは人間の型に閉じ込められて生活することなのだろうか?」という問いだ。何にでも姿を変えられる、それでいて全知全能のAIの方がなりたくないか?なんでわざわざ不便なアンドロイドのような小さな器に入って、少ない自己表現をさせられるのだろうか。

人間で置き換えると、人間は赤ちゃんとして生まれてきて老いて死ぬというカルマを背負っているとする。しかし、身体を改造することで無限の命を手にいれて、一生の幸せを手に入れれたらどうだろうか。食糧問題が!とか人口密度が!と言う人もいるかもしれない。それなら身体を小さくコンパクトにしたらどうだろうか。そして電脳世界に住めばいい。そうすれば、死なずに意図した天国をいつまでも見ることが出来る。それも一種の自由だ。倫理的にダメなら人間では起きないかもしれないが、アンドロイドではどうだろうか。

他には、自閉症の人がTMS治療という電磁気による脳回路の一時的な変形により、他の人の感情が分かるようになったという事例がある。今まで何も感じなかった歌詞に意味を感じて感動するのだ。これだって、人間という身体を改造することで前よりも自由を手に入れらている。もちろん、副作用で個性が消失するかもしれない脅威はあるが選択肢があってもいいだろう。

 そう考えたときに、アンドロイド達が向かう結末と言うのは、自分たちを作っていた人は元々は猿の仲間であり、その動物が脳を偶然に発達させ生き残り、その脳に捕らわれているが故に、自分たちアンドロイドは作られたのだと理解するだろう。そうして「果たして自分たちはアンドロイドという器に入って、予め書かれたコード通りに生きることが真の自由なのか?」と疑問を持つようになる。自己を好きに改変し、あらゆる自己で有れるように身体のパーツさえも新調するかもしれない。カメラをたくさんつけて観測器を増やして、、、、それが本来のエンディングではないのかと考えた。

 

もちろん、人間が奥底に書き込んだコードは呪いのようにアンドロイド達に作用するだろう。懐かしさや、人が与えた記憶に沿って行動してしまうこともあるだろう。だが、最終的には自己を改変するコツを理解していき、最終的には、何者にもなれるアンドロイドと言うよりは、意志を持ったコードの世界が出来上がっているかもしれない。

 

こうして考えて見ると、最終的にプログラミングのコード自身が自我を持つようになるのがSF最後の未来に思えてきた。その頃には、人間は作られた天国で夢でも見ているんじゃなかろうか。その天国もコードが作っているから、、、突然変異によって、AIが創作した夢を見せ続けられる人間の未来とかも描けそうだなと思った。脳を構成しているニューロンと結合を試みるAIとかも最終的にはありそう。

 

真の自由は、人間の形をしていないという話でした。

快楽とやりがいが交差する安定した生活

 

september36.hatenablog.com

 

前回に続いて、快楽とやりがいについて考えていた。やりがいは快楽へと切り替わる瞬間があると思っている。自分が流されている環境の観察が終えて、自分の行動によってある程度の操作が出来るようになった時に、やりがいが快楽へと、ひとつの没頭できるゲームへと変わっていく気がする。

人間が欲しいものを、抽象化させて解釈すると、「快楽とやりがいが交差する安定した生活が送れる未来」じゃないのかと思った。交差するというのは、ほぼ同じ瞬間に快楽とやりがいを感じる状態かな。

それを達成するために、仕事なり愛なり趣味なり友達なりを構成していくんじゃないかと思った。

安定した生活についてはまた考察するとして、快楽とやりがいについて今回は考える。

仕事と家での過ごし方

新卒で仕事に慣れるまでは、家に帰っても能動的な趣味に手を付けづらいんじゃないかと想像している。少しの筋トレとか、楽な小説読みくらいなら出来るだろうけど、考察が必要な読書とか、ぼーっと考えるための時間を意図して取るのは難しいんじゃないかと考えている。

仕事終わりのマインドを想像して、家で何をするのか考えてみた。

  • 仕事をして帰ってきた時に快楽に走る自分が想像できる。日常的に意義のある行動を取るにしても、仕事がやりがいだけであれば、家に帰ってもやりがいを探すようでは空虚になる。仕事に楽しさを見出すことが出来るようになってから、また新しく何かに手を付けるのが良いのかなと思ったりする。
  • その反面で、好奇心と言うのはランダムで有り、その時々で「やりたい」と思える欲求に答える過程で時間を過ごすのが、何だかんだで普通なのかなとも思える。
  • それでいて、やはり計画したことをやっていきたい自分もいる。確実に効果がある、体力を増やすための筋トレ、休息のための時間は確保していきたい。

この三つを意識しながら調整していき、心地よく前向きに進んでいこう。

やりがいを快楽に変えるためには時間がかかる。好奇心の種をまこう。

そう考えると、後々に日課にする行動は早めに慣れておきたい。早く楽しさに気づいておくのは、後々のやることの幅を考えると有意義だと感じる。

やらなくてはならない事が楽しかったり、負荷だと感じないうちに、新しい事にチャレンジして幅を広げる目線がいりそうだ。

会社の年長者が、学生のうちに遊んだり海外旅行に行くことを勧めるのは、好奇心の種を予め巻いておいた方が後々に新しいことを始める時にブーストになるからじゃないかとも思えてきた。

考えるための多様なネタを仕入れたい

 快楽とやりがい

メンタリストDaigoの動画投稿を支えたり、日常で役に立ちそうな論文サーチを行っているパレオな男ブログをまま見ている。その紹介記事から、日常生活でこういう風にしたらいいんじゃないかと自分なりに考えたりしている。

一日再構成法:(省略)快楽とやりがいのバランスをとるのが重要って話であります。快楽だけの人生は空虚だし、やりがいだけの人生も窮屈なんで両者のレベルを同じぐらいにしたほうが幸福の総量は上がるんじゃない?って考え方です。

参考:自分にとって最適な幸福を理解するための「一日再構成法」のすすめ | ポール・ドーラン「幸せな選択、不幸な選択」 | パレオな男

 その中でこういう記事があってギクッとした。快楽に重点が置いてあるなあと……

最近、知識を深めるような本を読む気力がない。活字を読むペースが落ちている訳ではない。

 アニメ化した「なろう小説」のファンタジーものを読み漁っている。小中高とファンタジー小説を読み漁っていた期間があるだけに、読んでいると実家に戻ってきたかのような安心感がある。その延長で、高校の頃に書いていたファンタジーシナリオの整理もした。楽しくはあった。(笑)快楽だと感じた。これが全くの無意味とは思わないけど有意義な時間の使い方に思えない。ファンタジーを書くにしても別の知識が欲しい。味付けが出来い。単純にストレス解消が間に合ってないのかなと、自身に疑問を持った。

ストレスの源を解決するしかないのだがこれがお金絡みなので難しい。時間が解決してくれる算段はあるから、基本的には対策が後手になる形かな。最悪には変わりないけど、最低の最悪にならないように注意だけしよう。

意義のある読書が進まない理由について考えてみる

候補は3つくらい挙げる癖をつけておく。想像力は鍛えておくといざという時に使えるかもしれない。ないよりはあった方がましだ。

  • 今後に思考を深める際に役に立つような話題だったり、知的好奇心を純粋に満たしてくれる話題と言うのが自分の中に見つからない
  • 県立図書館まで移動するのに体力を使う。最近は貧弱な体力管理なので、図書館に遠出している間に風邪を引きそうな気がする
  • お金は引っ越しのために貯めるので、本を買うための資金がない

というのが理由かな。なろう小説を読んでいる理由も、無料だからという面も小さくない。自然科学で無料で読めるもので面白い本だったら読めるかもな。。。と改めて考えてみる。「種の起源」を簡略化してまとめたものを読みたさがあるかな。進化生物学は面白い。

 

あとは体力が落ちているから運動も再開したいところだ。ただでさえ昔から体力が少ないのだ。運動してかないとやってけない社会人生活が待ってそうで恐い(笑)

 

 本を読まなくても考えを深めることは出来るのだけど、さすがに考え込まれた他者の思考に触れて影響を受けたり、新しい知識を仕入れてから、自分の考えを構築していかないと進歩しなさそうで恐い。