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やりたいこと

 

就活が終わって燃え尽き症候群になっている。就活中の生活スタイルの変化で、就活前にあった習慣がどこかに飛んでいったような気がする。何もしたくない。ダラダラしたい。ずっと寝ていたい。寝すぎると頭痛がするのであまり良くない。いい感じに休みたい。

 

前のような好奇心で知識を蓄えまくる感覚がなくなっている。取り戻したい。本を読んでいたら好奇心が湧いてきて、更に本を読む意欲に繋がっていたけれど、そのチェーンがなくなってしまっているのが現在だ。

 

何から手を付けよう。こういう生活スタイルがしたい!という想像を立てて、それまでに淡々とこなす日課を考えるのが良いのは分かる。

はじめの方は、その日課のみに注目してこなすのが良い。想像してても現実化しないから計画を立ててやっていくしかない。

 

まずは本を読んでから好奇心がやってくるのを待つのがいい。毎日数ページで良いから読んでいこうか。数日経ったら意欲が湧いてる未来は見える。

 

 

 

 

 

新奇性探求が低く、損害回避は並

 

Genelifeの遺伝子検査を受けていた。Genelife Premiumで検査を行えば他の検査キットを買うよりは値段を抑えられると思う。その場合、年会費で払うことになるので退会のタイミングに注意した方が良い。(2019/8) 

※2020年12月23日にGenelife premiumはサービス停止をしている。今は検査サービスがバラ売りされてる形になっている。お得サービスの利益率が悪かったのかなと予想。(2021/8)

○検査キットのサイト「遺伝子検査のジーンライフ

遺伝子検査では性格を決める要因である遺伝子について調べてくれる項目がある。その中でも新奇性探求と損害回避の項目について考えてみる。*1

遺伝子を踏まえてどう生きるのか

Genelife premumの遺伝子検査で、新奇性探求が低かった。5段階で一番下の評価だ。

気質とは性格の初動値とも言うべき、本人の行動に自動的に影響する性質のことで、生涯を通して変わりにくいという特徴を持つ。例えば、気質の代表例である「新奇性探究」はドーパミン(dopamine)の活動と深くかかわり、人を衝動的で活発にする。その他、「損害回避」はセロトニン(serotonin)の活動と深くかかわり、人を心配性で、抑制的にする。

引用:クロニンジャーによる気質理論 | 時事用語事典 | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス


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 うすうす理解していた。選択をする時に重視するのは、見慣れているか、自分ルールに従っているかだった。

好奇心には

  • 「他の人がやってるから自分もやりたい!」
  • 「あれもこれも気になる!」
  • 「知ってることを更に深めたい!」

という三つがある。新規探求性が低い人は「あれもこれも気になる!」という衝動が人よりも少ないため、知識を苦なく増やす好奇心を育むためには、他の方法を取るしかない。

新奇性探求が低いというのは、新しい物事を理解しづらいという訳ではない。新しい事への理解は開放性によって評価する。開放性は並だった。新しいことを知りたいなら、計画して収集したり、収集する癖に慣れた方が良い。その方がより人生を楽しめる。


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損害回避は並だった。新しいものへのワクワク感から行動するというよりは、未来の不安や脅威に対して行動する方が少し多めという感じかな。このブログをはじめた理由も、ワクワク感というよりは「本を読む習慣がないと未来で困る」という漠然とした不安も混じっている。新奇性探求が強い人は、本を読む習慣や情報を集める癖が無くても、情報に興味を抱き、苦なく知識を収集できるかもしれない。けれど、自分は慣れてないとモチベに繋がらない。だからこそ習慣にしておかないといけない。そういう不安が無意識にあったのかもしれない。

 今は少し変わって、考察するのが楽しいから本を読んでいるところもあるので、前のような強迫観念で動いている訳ではないし、薄まっている。 

自分ルールに新しさを組み込む

新奇性探求や損害回避の結果に対する記事があった。

損害回避性格でも、新奇性探究性格のような積極性を身につけられるトレーニング法 ... ...

第1は情報の入手ルートを広げて新しい情報を収集すること。みんなと同じ情報を同じタイミングで読んでいるだけでは、人と違う新しいことは発見できないし、新たな行動にもつながらない。

... ... そこでお勧めしたいのは、英語の勉強だ。... ...

第2に本をたくさん読むこと。友達をたくさんつくるのも悪くはないが、友達はどうしても自分と同レベルの人が多く、勉強になる情報はあまり入ってこない。かといって、自分よりも上のレベルの人が簡単に友達になってくれるはずもない。

第3に、適当なノートやメモ帳を「ネタ帳」として持ち歩き、気がついたことを何でも書き留めること。

引用:前例踏襲克服:生まれつき気質の逆転トレーニング | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) 

自分の性格を理解して、弱点を補ったり長所を伸ばすように動けば良いんだと思う。

自分は慣れ親しんだものに固執する特徴がある。その慣れ親しむもの中に、新しい知識や経験のキッカケを用意しておけば自然と触れることができる。例えば、

  • 今まで読んできた本に関連する本を新しく読む⇒慣れ親しんだものであり、新しい知識に触れる機会になる。
  • 好きなボードゲームで知らない人と遊んでみる⇒人と話すのが億劫な性格から、人と話す機会になる。
  • 目の前のものを、知っていることと絡めて考察することで興味があると自己錯覚させる。
  • 日常で聴き慣れない曲をランダムに聴いてみて、良さに気づいてみる。
  • 同士だと感じる人から、自分が知らない興味について教えてもらう。

 という感じで「慣れ+新しさ」を得られる趣味や生活スタイルを心がける。

あとは運動をするのも良い。軽い筋トレでも、運動後は新しい事に挑戦する気力(ドーパミン)が湧いてくる。新規探求性が高い人は、この(ドーパミン)がよく頭を満たすみたいだ。このハイな気分を平常時に経験する人が、元の好奇心が高い人の特徴なのかもね。羨ましい、、

情報に触れるための基礎知識も大事なんだろうね。英語に親しむためにも、自分が好きなものを英語で調べてみるたり、メディアを活用する。ふと気になったことを英語でインプットするように癖をつけようと思う。職業柄、早く慣れたい、、、、、、

 新しさを受け入れやすい自分ルールを作らなければ、この先の人生は新しさを取り入れる事なく自分は廃れていく可能性が高いようにも思う。楽しく知識に埋もれた生活を過ごしたいーーー(笑)

他参考

Cloningerの気質・性格モデルとBig Fiveモデルとの関連性

クロニンジャー理論について知りたくなった。また本を読むかもしれない。

煽り見出しだが、内容はそうでは無いよと言ってる記事↓

next49.hatenadiary.jp

関連

https://september36.hatenablog.com/entry/2019/09/21/033218

 

*1:他に面白かったのは、特定の病気のなりやすさ、特定の問題に対する得意不得意かな。

生きがいに救われる「ずぶぬれて犬ころ」

 

友人に誘われて町の映画館に行った。映画館で観ること自体が稀で、大型ショッピングモールにある映画館しか知らなかった自分としては、嬉しい機会だった。

映画館内で見ている人の中には、映画に出演している人が居たり、その友人の演劇仲間が居たりと、インディーズバンドのライブ会場を連想した。こういう生き方があるんだなと関心した。何かアイデアの種になりそうな気がする。

 

www.zubuinu.com

 

お話

公式サイトのあらすじを引用しておく。ちなみに、住宅顕信(すみたく けんしん)。

 2017年、小堀明彦は中学校でいじめにあっていた。教頭の諸岡は、掃除用具に閉じ込められていた明彦を見つける。教室に落ちていた張り紙「予定は決定ではなく未定である」を書いたのは、住宅春美という、かつて諸岡が関わった生徒だったことを語り始める。

1980年前後、住宅春美が働いていた食堂で彼女を紹介されたこと、商店街で再会したこと、春美が得度し「顕信」という法名になり「無量寿庵」という仏間を作ったこと。そして25歳の若さで亡くなったこと。

小堀は、諸岡から借りた住宅顕信の句集「未完成」を読み始め、その俳句と住宅顕信の生涯に徐々にのめり込んでいく。1984年、22歳の住宅顕信急性骨髄性白血病を発症。家族の献身的な介護に支えられながら、句作に没頭していく。しかし病状が悪化し句集「未完成」の原稿を握り締めながら1987年、25歳の若さで亡くなるのだった。小堀は住宅の句と生き方に感銘を受け少しずつ変わっていく……。

引用:http://www.zubuinu.com/story.html 

俳句に没頭して短い人生を生きた住宅顕信と、彼の生き方を俳句から学んだ、いじめられっ子中学生の物語ってところかな。

中学の頃に将来について聞かれること有ったなあ。「将来の目標は将来の目標を決めることです。」と捻くれて書いたのを思い出す。今の中学生は、具体的な将来の目標を聞いてきっちり答えられるんだろうか。あの時の自分が目標を設定していたら何か変わったんだろうか。気になる。

「予定は決定ではなく未定である」の句は良く分からなかったな。「予定は未定」で済ませれば良かったようにも思う。「予定は決定と未定の狭間」だよって事を遠回りに表現したかったのかな。

住宅顕信の死

住宅顕信が、死ぬ寸前まで、俳句の幻覚を見ながらも没頭していく姿は、自身も苦しそうで、そこまではなりたくないと思ったかな。死ぬ手前で良い俳句が出来て「スッキリした!ほな!」くらいで終わるのは有りだと思う自分もいるから、許容する線がさじ加減なところは有るとは思う。

 

september36.hatenablog.com

 

この部分を観ていて別の映画を思い出した。「世界一キライなあなたに」は、全身が麻痺してしまった男性が最終的に安楽死をするまでの話だ。この作品の男性は、動くことが生きがいだったため動けないことが心理的な負荷になった。対して、住宅は頭を働かして作る俳句が生きがいだった。

もし、住宅顕信安楽死の選択肢を持っていたらどうだったんだろうと思った。死ぬ前まで俳句を極めるような気がする。生きがいとなることを続けていられるからだ。特に能動的な生きがいが大事だと思う。

熱中できることが生への前向きな理由になるんじゃないかと思えた。

※自分だったら切りのいい俳句が書けたら最期は安楽死が良いのかなと思うが。(笑)

 

ずぶぬれて犬ころ

この物語で印象に残ったところは、やはり題名にもなっている住宅の句「ずぶぬれて犬ころ」 を少年が感じ取り、雨の中で屋上から飛び降りようとしているところを踏み止まるところだ。

なぜ俳句を思い出して自殺を思いとどまれたのか

「ずぶぬれて犬ころ」の句を書いた住宅顕信は、不治の病だと知り絶望感がある中で、感じ取った感覚を句で表現することで、他の俳人には出せない独特な観点から作品を作ることが出来た。そして、没頭して生きがいとして自分のものにした。

対して、中学生の少年は苛められていて絶望しかなかった。そこで、住宅の俳句に出会う。住宅の俳句は、自分と同じ絶望の中で見える景色と同じものだった。彼は住宅の句の意味が理解できた。同じ辛い境遇にいるからこそ身に染みて分かったはずだ。

 

「ずぶぬれて犬ころ」の句の意味を想像する。本来であれば傘をさして雨をよけるはずだ。けれどしていない。何故なら、雨をよけるための気力がなく、雨に濡れることよりも大きな関心が別にあるからだ。

それは住宅にとって連想する自分の死であったり不自由な身体のことであったりしただろう。面倒を見てくれる親への申し訳なさもあったかもしれない。そして、顔を洗っている時か風呂に入っている時か雨に濡れた時かは分からないが、ふと自分の姿を冷静に見た時にずぶぬれた子犬のような無気力と似ていた。それを作品にいかせると思って、ニヤリとしたと思う。いいアイデアが浮かんだ時に生きがいを感じたはずだ。

 

一方で、中学生はちょうど飛び降りようとしていた時、雨に濡れていた時に句を思いだした。目の前の景色を俳句として作品にした住宅顕信が思い浮かんだ。自分が死のうとしたところを住宅は作品として生かしたのだと知った。こんな辛くて何の希望も見えない中で自分を"いかす"方法を知った。自分が理不尽な境遇にいるからこそ、他の人とは違う目線で世界を観れることを知って前向きになれたのだと思う。

 

過去に生きた人の情熱が、現在の人を生かす原動力になる 

ちょうど最近のブログで、「生存を促す文化」の影響を受けているから自分は生きているのだと書いた。これもそのひとつの例だった。

september36.hatenablog.com

 

読まずに考えてみる「人生に生きる価値はない」

 

 september36.hatenablog.com

 

前回の前置きから、哲学の本を読むつもりは今のところないけど、自分なりに考えてみようと思った。哲学者の中島さんが書いた本の題名、「人生に生きる価値はない」の考えについて自分なりの予測を立てて考えてみる。高校の頃に同じような議題で悩んでいたことが有ったので懐かしい。

人生に生きる価値はない (新潮文庫)

人生に生きる価値はない (新潮文庫)

 

分からないこと

分からないことがある。この文字はどこで区切っているのかが分からない。どちらなのだろうか。

  • 「人生に生きること」は価値がない
  • 「人生」というもの中に「生きる価値」が内包されてはいない

前者と後者ではニュアンスが違ってくる。今回の場合は後者だと捉えていく。

ところで、人生とはなんだ

いままでの生きてきた過程のことかな。

特にそのなかでも思い出が深いものを「人生」と名を打っている。「人生」というのは後から編集可能な記憶というところかな。幸せな記憶ばかりを集めたものを思い出しても、それは「人生」というタグがつくだろうし。不幸で検索しても同じようなものだ。

過去を思い出したときの感情経験が「人生」だと言えるかも。それについては心理学の方で科学されているので、ここで深く語るつもりはない。この本は個別で紹介したいぐらいに面白い。

明日の幸せを科学する(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

明日の幸せを科学する(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

生きる価値とは

自分が将来も生きる必要性があるかという問題についてだ。

生きる価値を絶対的に定義できないと思っている。私たちが生きているのは、自然の摂理で成り立っているからであって、特に深い意味はない。しかし、逆に死ぬ理由もないとは言える。

信仰の話

その上で、わたしは熱心な生存したい教徒の一人ではあると自覚している。ここからは信仰の話になってくると思っている。

september36.hatenablog.com

生理的な話
  • 生存本能

自然淘汰の原理から、結果的に生存しやすいような生体反応を持っている個体が生き残りやすいので、現在生きている人間は結果的に、生存本能として生に貪欲な種族だと言える。

とは言え、僕たちは環境に適応するように進化するとは限らないので、この先で自然淘汰する可能性はある。もっと言えば人類が滅びる可能性もある。

  • 生存文化を継承する共感能力

わたしたち人は共感能力を備えて生まれている。慈しみの心だったり、寛容だったりだ。これは、人間が文明を発展させる上で必要な機能だったと言えると思う。自分が属している文化が生存を促すようなものだった場合に影響をもろに受ける。今も受けてるはずだ。

 

「人生」と「生きる価値」の関係性

「人生」が「生きる価値」を内包しているという考え方は違うかもしれない。
どちらかと言えば、相互に関係しあっているような仲に思える。

「人生」があるからこそ、生きる価値があるとも思えるし。
「生きる価値」があるからこそ「人生」が生成されていると捉えてもおかしくない。
関係性はかなりフラットだ。

最終的にだが、この意見についていえるのは「人生に生きる価値は部分的に含まれているが完全に内包していない」というのが自分なりの解釈かな。

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やっつけ図
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哲学という名前を意識することに意味があるのか

 

都心での就活をしていて移動時間がかなりかかる。考える時間、創作する時間として使っている。

 

哲学本を積読している。読む価値はそこまでないと思っている。

知人に哲学しないのかと聞かれたのを思い出し、哲学することについて考えていた。

哲学をしていない人はいないのでは?

哲学と言う学問は、様々な学問の根っこのようなもので、必然的に他の学問に深く精通していれば哲学を無意識にしているようなものだと考えている。

哲学って意識する必要があるのか

だから、哲学そのものを敢えて選択する必要は特にないと思っている。

哲学は目的ではなくて手段だから、別に意識せずに、何かモヤモヤする議題について考えて、自分なりの回答を出すのが結果的に利に適っていると思う。

それは現在で言う、批判能力、創造思考ことだとは思う。

倫理哲学には価値がありそう

 倫理哲学に関しては発展の余地があるように思う。トロッコ問題の回答は、私たちが話し合って納得のいく合意形成に持ち込む必要がある。この問題は哲学の領域なのかなと思う。「倫理」って学問に派生したら哲学ではなくなるんだけどな(笑)

 

 

 

 

 

 

 

ブログタイトルを変えるか悩む「意識の根っこを伸ばす」

 

就活をしていて、プログラムを使って技術者として成長する未来を考えていた。

 

成長するためにはマインドが必要だと思う。それは環境要因と習慣行動から醸成される。環境はこれからも選択するとして、自分の習慣を最適化する際にどうすれば良いのか考えてみる。

 

技術系のブログを作ろう

 

より効率的により楽しく学ぶためには、今まで読書前後で考察をしていたように、IT技術に対しての感想や考察、想像をブログにまとめるのが良いと思っている。そうすれば調べた足跡が自分の好奇心証明として自信に繋がると思う。

 

技術者として成長する際に挫折するのは、興味を無くしてしまうからか、周囲のレベルが自分と比較して高過ぎる場合に起こると思う。

 

やはりコツコツと成長していく方が重要だから、比較する瞬間はあっても良いけれど、比較する対象は昔の自分であるのがモチベーション維持には大切だ。だからこそ、技術系のブログを自分なりのレベルで書いていくのが後々の自分にとっても有益だと思う。

 

また、人は複雑な問題に対して嫌悪感を抱きがちだ。そして放置してしまう。けれど、それが詳細に構造が分かっていれば、嫌悪感も湧きづらくなる。嫌悪感は複雑だと感じるから起きると言える。まとめることで「何だこういう事か」と気軽に考えられるようになるのも良いところだ。

 

ブログには何を書いていくのか

 

  • 興味のある技術の調べと考察

最初は印象深くて興味が湧くものからでいいと思う。自分の中で一番興味が湧くものにスポットを当てて、それが一体どういう仕組みで動いているのかを掘っていく。

そして調べた中でアバウトで良いから、こういう形で行えば出来るじゃないかと考察してみる。

 

  • 具体的な感想

その際に感想もつけておく。愚痴を書いても良い、ただし書くなら具体的にどこが悪いのかを詰めて書く。自分が思ったことを素直に書く。こうしたら良いんじゃないかなと想像したことを書いても良い。具体的に書くことを意識する。

 

  • その技術を学んでいて、将来的に役立つものなのか考える

これは最後にする。一旦はブログにまとめてみて、これは必要ないんじゃないかと感じた場合は、目が肥えたと割り切って辞めてしまっても良いことにする。

 

 

 

ブログのタイトルを変えようと思った理由

 

就職した後に、このブログは更新頻度が下がるような気がする。仕事を覚えたり、新しい人との繋がりで生活スタイルが変わる可能性があるからだ。そして、映画や体験談の方がまとめて書くことが多くなるような気もしている。

 

そうした時に「淡々と読書する」はメインではなくなるのかなーと思い、変えようか悩んでいる。

何かを選択するのに

本の紹介で「自分の意見を表現することに恐さがあったけれどやってみる」という話を聞いた。表現について考えたときに、4年前を思い出したので書く。

 

最善策はある。周囲からの願望はあるだろう。けれど選択することに正解は無いのだし。信じているなら、むしろ本心を吐露して言えば良かったなと後悔している。この後悔は次に活かせるので悪くはない。

 

本心を吐露せずに偽ることで他の人に迷惑をかけた。

 

それは何故起きたのかと言うと、もともと自分が本心を吐露することに日常的に警戒していたからだ。もっと自分を表現していいのだ正解なんて無いのだから、選択した道が自分として成立するだけだ。意見が食い違うことを恐れている。

 

吐露することに慣れていこう。些細なことでも表現して伝えてみることが始まりかもしれない。