現実と理想の折り合いを付ける物語
厳密な科学や事実で見せられる現実と、意識や心の中で作られる理想をわたし達は持っている。これらの折り合いを付けるために物語を作り。その物語によって現実に対する意味が見い出せて生活の満足度が上がる。
物語は生活している環境によって作り方が変わってくる。自分なりに物語を作るほど知恵が必要になるし。他の人の影響を受けるようになると妥協が必要になる。物語を作るうえで参考にはなるので必ずしも他の人の影響が悪いわけではない。自分で選び取る目線が必要だろう。
厳密な科学や事実で見せられる現実と、意識や心の中で作られる理想をわたし達は持っている。これらの折り合いを付けるために物語を作り。その物語によって現実に対する意味が見い出せて生活の満足度が上がる。
物語は生活している環境によって作り方が変わってくる。自分なりに物語を作るほど知恵が必要になるし。他の人の影響を受けるようになると妥協が必要になる。物語を作るうえで参考にはなるので必ずしも他の人の影響が悪いわけではない。自分で選び取る目線が必要だろう。
ここら辺を知らなくても、作品が醸し出す雰囲気を味わうには十分だったし。考え込まなくてもいいかも。
生きる理由が見つからないふたりの殺し屋と、冴えない復讐者が主人公の物語だった。「罪と罰」の引用が出て来たりと、作者の死生観を小説を使って伝えているようにも思えた。
小説には珍しく引用文献があった。「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」という、ジャーナリスト森達也さんの本題名を載せてある。彼の映画「ドキュメンタリーは嘘をつく」で、作品を観た後に何を感じたのかと、それを作っている背景を想像するのが大事だと語られていたのを思い出す。
それ込みで楽しんでほしかったのかなと作者の考えを推測してみる。
グラスホッパー……バッタか。「人間は昆虫のようなものだよ。」と言われてもピンと来ない。法学部出身の独特な想像力のなせるわざというやつか。それか自然淘汰とゲーム理論の話でも読んだのかな。
人間は哺乳類であるし。脳が発達しているし。それ故に協力的な文化が発達している。未来や何もないものを想像できるのが人間の良い所だろう。
この文章は単に、「タカ派とハト派」の話をしているに過ぎないのかもしれない。利他的な方針が8‐9割で、利己的な方針が1‐2割と言うやつかな。人間全体で利己的な人間が1割いる、個人が集団間で行う利己動作が1割あると想像するやつ。
自然淘汰の話に持って行けば、確かにバッタまで解釈を持って行けそうか。利己が多ければグループは全滅する。利己動作を行う細胞を増やして結果的に主を殺してしまう癌細胞もそれと同じだ。
冴えない元塾講師の男を中心に物語を観た時は、自然淘汰のいたずらでも良いから平凡な人は救われて生を実感してほしい。元からどうしようもない人は盛者必衰で、同じように自然淘汰してくれ。」という意見文。
他の殺し屋を中心に観たときは、贖罪を請う生き方をしてくれという願いかな。
「罪と罰」は一昨年に読んでいたので、何を言いたいのかを想像することはできた。あの本は宗教色が出ている本で、罪悪感との対面と無慈悲さが詰まった本だった。老婆を殺してしまった主人公が罪悪感と戦いながら、無情な環境で生活をしている少女の健気な姿を見て、落胆と後悔を胸に自首する話だ。殺し屋の鯨が愛読をしていたのも、共感して罪悪感を理解をしたかったからではないかと思っている。
「罪と罰」のラストは別の見方をすると、ラスコーリニコフがラズミーヒンを助けようとしているのに無視して進んでいってしまった結果とも見える。この物語でも、助かったはずなのに周囲に求めなかったIFシナリオが残ってたりするんかな。
盛者必衰を待つ。無理に助けることを拒む。自分が助けれる範囲で生活をするのが良いのかなと思った。
バイキングでドカ食いする人のメンタルと生活が心配になるのは分かる。けれど、ミイラ取りがミイラになったんでは意味がないですぜ。それとも、自分はならないと思っているからこそミイラになるのかな。
ある一定の人間は、恐怖を感じる部位である偏桃体が動きにくい。遺伝する性質でもある。優秀な兵士はそのおかげで優位に射撃を行うことが出来るとも言われている。最近では、電磁気ヘルメットを被ることで同じ脳状態に出来る機械があったりする。
ところで。こういう不安や幸福を感じにくい人は、人生の意味を見いだせない場合も有るらしい。参考:今週の小ネタ:知能と幸福、サイコパスとナルシストと人生の意味、ヤバい恋愛を切れない人 | パレオな男
けれど、前に読んだ「共感脳」の本には続きがあって、彼ら彼女らは共感することも出来るのだと言う。そこに賭けた小説なのかもね。
前回に続いて2回目の推理小説を読んでみた。
改訂版を出すにあたって最後に説明がなされてたように、バブル期に書かれた作品でしたね。
「女性はお茶を入れる」とか。登場人物の学生ほぼ全員が煙草を吸ってるとか。サークル飲み会で急性アルコール中毒で死人が出るとか。インターネットが存在していないとか。タイプライターが流行りだとか。価値観が前にさかのぼります。DNA検査と言っても制度が低いのだろうなと考えたりもしたかな。
冒頭でギャップを感じる文章が散りばめられているので、現在とは異なる世界観に入っていく感じで読んだかな。ここで諦める可能性もあったけれど、推理ジャンルマイブームに乗って読み進めていった。
紅さんが怪しいのかなと疑ってみたり。青司がまだ生きていて犯人なのかなと疑ってみたり。それとも学生の中に犯人が紛れているのかなと思ってみたり。会話の文章や描写の移り変わりによって、誰が犯人なのかをミスリードしやすいように誘導させる文章は面白かったです。
第1被害者であるオルツィが指輪をはめていたことを思い出せなかったのが悔しい。オルツィが亡くなった青司の娘と仲が良かった事は、はじめにオルツィが被害者になった理由と関係しているとは疑っていた。そうなると、学生の事情を知っている中に犯人がいることになるとは推理できていた。
実際に起きたことから自分なりに絞っていくのが、「叙述トリック」にハマらないための工夫なのかな。登場人物の誰一人として正しい推理を行っていなかったのだし。
序盤でも圧倒的に怪しい人物がいた。なぜか病気なのに館に来ているし。館を借りた主だし。かつ旅行のキッカケを作っている。そして泊まった数日後に、人が殺されるような状況だとメンタルが揺れて病状が悪化してもおかしくないが元気になった。
どう考えても怪しいんだけど特に証拠が無かったからな。動機についても、犯人だと分かった後に初めて追加された情報だった。推理して犯人を当てる楽しみ方をする作品では無かったんだろうな。
犯人が地の文を用いて犯行について語るシーンがあるのだが、結構ハードなことをしている。細身の身体で、脱水症状に見舞われる中で、ろくに睡眠時間を取ってない中で、重労働して、音を立てずに部屋に忍び込みまくって、よくも疑われずに全員殺せたなと感嘆する。さすがに無理があるくない?と思ってしまった。アリバイ工作であるバイクの運転中に、疲れで意識を失って事故って死んでもおかしくないと思えた。
殺し方を考えるのも結構に行き当たりばったり感も有ったし。うーーん。幸運が重なって犯行が成立したと言うのも強かったように思えた。
幸運と言えば、ラストの海辺に流れ着いた瓶も"運"と言えるのかもな。その点で考えれば、復讐殺しの焦燥感を伝えたかった作品としては一貫性があって楽しめる本と言えるかな。やってることはハードだけどな。
今まで、推理ジャンルを好んで観ることは無かったのだけど、
前回に観た推理映画に感動して推理ものへの敷居が低くなった。
更に、刑事ジャンルをほとんど観ない中でも、唯一最後まで観ていた「新参者」のドラマは「マスカレードホテル」を書いた東野圭吾の作品だったので観るのに抵抗が薄かった。
内容は「新参者」と似て、捜査を進める中で気づく人間ドラマの模様を楽しむのがメインだった。はじめは誰が犯人か捜そうと、映画内で語られる情報を覚えながら疑って観ていた。途中から、捜査の中での新しい目線の発見とか、心情への気づきを映画で楽しんでもらいたいのだと分かってリッラクスして観ることが出来た。
客室の机上にある、メモ用紙に乗っている文鎮の配置を整えるシーンがやたらと付箋として画面に出てきた。その回収が最後に現れるという形は分かりやすかった。「新参者」シリーズでも、人が日常的に癖で行ってしまう描写でのトリックがあった。人間が癖で行ってしまうものは、見過ごしてしまいがちだけど確かに存在している影響力なんだと感じる。
犯人があの人に繋がると気づけなかったなー。確かに付箋はさらりとしていたし。予想することが出来たんだけども。少し悔しかったな。映画の途中からは疲れて集中力が切れてたし。忘れても無理はないかな。ほのぼの短編ストーリーが映画中に何度も入ってきて、思考が平和ボケしていたのも有りそう。
推理することがメインでなくても楽しいと思えた。隠し味に推理を入れて見ました~。という作品が好きかもしれない。刑事ジャンルでは、刑事が淡白な方がかえって感情移入しやすいと気づけたかな。どうしても燃える警察官はくどくて仕方がない。いや、でもたまに見える愚かさを愛おしく思えば面白いかもしれないか。
大ざっぱなことは下の記事で書いたことを中心にやっていけばいいのかなと思っている。自分で書いた記事のことを忘れてたりするので、たまに見返してマインドを取り戻す作業が必要だなと感じる。
前より変わった点を書いていこう。
どうしても人間と言うのは欲張りなもので、あれも欲しいこれも欲しいとなりがちなので、優先順位を決めて「これだけは!!」というのをまとめておこう。選択をした後に沸きがちな後悔への理由づけも出来るし。その時の適切な判断が下せると考えている。
この順番に大事だなと感じた。働き過ぎても嫌だなと感じている。仕事が終わってからの余暇を存分に楽しみたいので、確保が出来るようにしたいと考えている。逆に給料面は重視していないかな。
将来を考えると給料が多かった方が良いと考えるだろう。ただ、仕事が多くて給料が多くてもそこまで嬉しくないかな。仕事の量をまずは評価軸で考えるとして、次に最低で貯めておきたい貰っておきたい金額を想定した方が良いのかな。
「老後」の心配は常に付きまとってくるか。資産運用が上手く行かなかった、最悪の場合も想定した方が良いよな。老後に働かずに20年ほど生活することを考えると、「1年あたり24000円*12ヶ月*20年=3000万~5000万円」を働いている内に貯めていくんかな。
資産運用は分散投資をして、なるべくリスクを分散させていくようにしようか。
今のところはするつもりはない「結婚」とか「誰かを養うこと」を考える。実際にするとしたら、自分の生活を犠牲にしない方法がある場合に限るかな。家族のために身を削って働きました!とかは柄ではない。その時は、転職する選択肢が濃厚になるかな。無いなら無理かな。趣味でボードゲーム作ってアプリ化したいと考えているけど上手く行くとは限らないし。
大手でも社員を減らしたり給料カットしたり。と、変化が起こっている。その点を踏まえて企業を選んでいけたらいいな。
ここら辺をベースに聞いて行こう。実際に働いている人から話を聞く。会社へのインターンシップとか座談会が大事だと思えたかな。